出張での楽しみ。それは、宿泊先の大浴場。ビジネスホテルに大浴場があることも珍しくはなくなってきた印象があります。
自分で宿泊先を決められるときには、最近は大浴場があるビジネスホテルを選びます。なので、大浴場のある宿泊先が埋まっていると寂しい。その反対に、他の誰かに手配してもらったビジネスホテルに思いがけずに大浴場がついていると、もう大喜び。
必ず、夜と朝の2回、利用します。夜は夜で、移動の疲れを洗い流してくれるのが良い。また、朝は朝で、大きな湯船にゆったりと浸かっていられるのが至極のとき。いずれも少しだけ熱めのお湯が好き。
広々とした浴槽に浸かっていると、まるで海の中にいるような感覚になることがあります。昨日の宿泊先の大浴場では、ハワイの海でひとり波に揺られていたときを思い出しました。
お風呂と海とで温度はまったく違います。けれども、ゆったりとした気分でたっぷりの水に包まれていると、それらが同じように感じます。そう考えると、大浴場が好きというよりも、ゆったりとした時間を過ごすことが好きなのかもしれません。
だからといって、暇な状況は好きじゃない。例えば、子どもの頃は、温泉旅行が退屈で退屈で、早くこの場所から抜け出したい気持ちでいっぱいでした。遊園地のアトラクションのほうが100万倍楽しいのに、大人は一体、何が楽しいのかと不思議でしょーがなかった。
この退屈とは、普段の環境ならその時間に何か好きなことができるのに、そうではない環境のため何もできない状況。誰かによって、自分がしたいことが選択できない状況が嫌なのかも。
確かに、以前、ある人がこんな発言をしていたのに違和感を覚えたことがあります。残業代の支給の要否をめぐる議論のときに、こう話していたのです。定時を過ぎた時間帯に出先から事務所に戻る場合であっても、仕事以外に自由なことができるため、その移動時間は就業時間ではない、つまり残業代は払わなくてもいいと。
ボクは残業代うんぬんより、電車に乗って事務所に戻る時間が「自由」と表現していることに驚き。だって、それは電車の中でできることの自由しかないでしょ。事務所に戻らなければ、誰かにも会えるし、家に帰って好きなものに囲まれることもできる。本来ならできることが、一定程度、制限されているのです。
きっと、その人は海外出張の移動も、飛行機の中で仕事していないから自由だというのでしょう。そんな考えの人が、経営や総務を担当している組織は大変。
ボクは会計士という仕事がら、クライアントの監査の関係で地方に出張することがあります。このときに、ある会社さんは、飛行機や電車のチケットを手配するときに、行きも帰りも、できるだけ就業時間の範囲内で押さえてくれます。
もしかすると、監査する時間を減らす目的があるのかもしれません。ただ、普段の監査対応をみる限り、そうでもない。仕事は定時の中で行うものだという意識が自然と身についているのです。ボクらのように、定時外でインプットやアウトプットをするのが習慣の人にとって、予定している時間が削られないのは、ホント、助かります。
時間を削る人は、命を削ること。だから、自由な時間を勝手に荒らしてくる人には要注意。同時に、そういう人から時間を削られていることに自覚を持つことも必要。ビジネスでもキャリアでも。ゆったりと浸かる大浴場だと思いこんでいたら、足も伸ばせない温めのお風呂かもしれませんよ。