ア・カペラを日本で民主化したアーティストといえば、ゴスペラーズ。今でこそ、ア・カペラと聞いても「へえ~」くらいの反応ですが、その昔はア・カペラと聞くと「うおぉぉぉ」という驚きでした。
ボクのア・カペラの原点といえば、チェッカーズ。当時はまだ、ア・カペラといえば洋楽の時代。もちろん、日本のアーティストでもア・カペラを歌っていた人たちはいたのでしょうが、テレビで披露する人は皆無だったのではないでしょうか。
確かに、山下達郎サンは、1980年に『ON THE STREET CORNER』という、全曲がア・カペラのアルバムを発表しています。チェッカーズがデビューする前から、ア・カペラに取り組んでいました。ただ、職人芸的なプロの領域。大衆的に楽しめるという意味では、やはり、チェッカーズかと。
そんな中、まだまだ歌謡曲が全盛の時代に、アイドルとして登場したチェッカーズが、テレビ番組の中でア・カペラを歌うことがありました。彼らはデビュー前に60年代を中心としたオールディーズを歌ってきたため、自ずとレパートリーの中にア・カペラが入っていたのでしょう。
デビューアルバム『絶対チェッカーズ!!』にも、ア・カペラ曲の「ムーンライト・レヴュー50s’」を収録していたほど。また、ライブになれば、代表曲「涙のリクエスト」をア・カペラ・バージョンで歌ったりもしていました。
さらに、ライブでしか歌われないア・カペラ曲もありました。それが「神様お願い」。アメリのジャズ・コーラス・グループであるマンハッタン・トランスファーの「Trickle Trickle」を、ヴォーカルの藤井フミヤさんが日本語歌詞にしたもの。
この歌詞から、リーゼントにした男の子が彼女とダンスパーティーに出かけるような、60年代のアメリカの世界観が目に浮かびます。テレビのバラエティ番組に出演したときに披露した「神様お願い」を運良くビデオで録画していたため、文字通りテープが擦り切れるほどに何度も繰り返して聴き込んでいました。
とはいえ、チェッカーズのファンでなければ、それほどア・カペラに触れる機会はなかったでしょう。そんなア・カペラを日本で一気に普及させたのが、ゴスペラーズといえます。
ボクがゴスペラーズのア・カペラのライブを、たまたまテレビで観たことがありました。カミさんの友人がゴスペラーズの大ファンであったため、「あのゴスペラーズのライブがテレビで放映されているなあ」という軽い感覚で、「ゴスペラーズ坂ツアー2003 アカペラ港」というライブを観たのです。
演劇を組み合わせた、ア・カペラ一色のライブ構成。曲も良ければ、歌も良い。これを観て、ボクまでファンになりましたよ。後日、その再放送があったため、ビデオ録画することに成功。これまたテープが擦り切れるほど、見返しました。
印象的だったのが、ベースヴォーカルの北山陽一サンが、そっとポケットから音叉を取り出して音の位置を確認する仕草。音叉とは、U字状の金属の器具。これに振動を与えると、特定の音が鳴る仕組み。これを使って音をズラすことなくア・カペラを成立させていたのを見るのが好きでした。
ゴスペラーズのデビューは、1994年にデビューしています。2000年に発売した「永遠に」からブレイクし始める。その後はヒット街道を突っ走っていきます。つまり、6年近く芽が出なかった時期があったということ。
デビュー前からア・カペラを歌いこんできただけあって、実力があるのは間違いない。だから、ひとたび人気に火がつくと、いったん歌を聴いた人は本物に触れた感動でファンになってしまう。ボクもそのひとり。
最初に食べたもののレベルで好き嫌いが分かれるように、音楽も最初に触れたもののレベルでファンになるかどうかが分かれます。
これは、ビジネスで提供する価値も同じ。本物なら、多くの人に認知された途端に受け入れられます。そこまでブレずに邁進できるかどうかがカギ。そう、音叉のように。
ビジネスの音叉は、何かのリソースかもしれませんし、何かのアクションかもしれない。あるいは、ビジネス上のパートナーかもしれません。こうしたビジネスをブラさない要素によって、提供する価値が安定します。
あなたの音叉とは、一体、何なのか。それを考えてみる時間を持って見ることをオススメします。よろしければ、ア・カペラを流しながら。