翻訳って、つくづく難しいものだと実感することがあります。英文は簡単には和文には置き換えられないから。それは技術的なものもあれば、文化的なものもある。
技術的な難しさは、先日、会計監査に関する資料を読んでいたときに感じました。日本語で書かれた箇所の一部について、表現が気になって仕方がない。その和文は、基本的に英文を翻訳したものであったため、英文と比較してみました。
すると、というか、やっぱり、というかの結果でした。誤解を与えるような翻訳が原因でした。ボクの違和感にも理由があったのです。
もちろん、その和文を作成するには、専門の方々が限られた時間の中で精一杯、取り組んでいるでしょう。和文があるからこそ、その理解が深まっているのは事実。実際、ボクもそんな違和感を覚えたのは和文が用意されていたからこそ。
では、なぜ、誤解を生むような翻訳となったのか。おそらくは、英文から和文への流れだけを考えているからかと。もともと規定されている英文があってこそ、和文の規定が設けられています。だから、英文から和文の方向性で、つい、考えがち。
しかし、和文しか見ていないボクのような人にとっては、翻訳された和文から英文を再現できないことがあります。今回のように、英文から和文への流れには違和感がなくても、和文から英文には流れない。翻訳によって違う解釈が可能となったために、英文の趣旨が再現できないのです。
理想的には、英文から和文へと翻訳したときに、その翻訳された和文から英文の趣旨が再現できること。どちらの方向性であっても、意味が変わらない状態が最高です。
ただ、これ、翻訳の技術の問題だけでは解決できないって、ご存知ですか。それが冒頭に挙げた2つの理由のうちの、もうひとつの文化のほう。文化や環境が違うことによって、翻訳が無理な場合があるのです。
Aという英単語があれば、Aに相当する日本語に翻訳すれば良いと考えがち。しかし、Aという英単語に相当する日本語がない場合だってある。必ずしも、ひとつひとつを置き換えていけるものではないのです。
で、調べてみると、それを解説した書籍もあるのですね。例えば、イラストレーターのエラ・フランシス・サンダース氏による『翻訳できない世界のことば』(創元社)という本がありましたよ。本のタイトルどおり、「翻訳できない言葉」を世界中から集めた単語集とのこと。翻訳できないのに解説していることに興味がそそられます。
もっとも、状況意味論という言語に関する研究に基づけば、言葉には意味がありません。その言葉を発している状況に応じて意味が変わってくるからです。だから、この英文にはこの和文と考えることが間違っているのです。
そう、翻訳が難しいとボクが感じていること自体が間違っている。一文を取り上げてウンヌン言うのではなく、全体を通して意味を捉えるのが正解。
ということで、一文一文にとやかく言わずに全体から意味を掴むこと、また、英文は英語で理解することの2つに徹するしかありませんね。日々、これ、学びです、ハイ。