Accounting

『リースの数だけ駆け抜けて』第10話「深まる検討」

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2025年3月中旬。会議室の窓からは、冬の名残と春の予感が混じり合う景色が見えていた。日差しはまだ柔らかく、その光が机の上に広げられた契約書の束を照らしている。新リース導入プロジェクトは、取締役会への中間報告に向けて佳境を迎えていた。

「ここまで、よく頑張ってくれた。ありがとう」

氷倉隆の声に、霧坂美咲は一瞬、表情を緩めた。夜島誠人と黒嶺尚吾、陽野沙織の顔にも驚きが浮かんだ。リストラを断行する管理本部長からの感謝の言葉は余りに意外だった。彼らは氷倉の真意を測りかねて、互いに視線を交わした

「本部長に方針を決めていただいたおかげです」美咲は穏やかな口調で応じた。「中間報告としての形には仕上げられそうです」

「なら、良かった」

氷倉は会議室の窓辺に歩み寄った。外の曇り空を見上げたあと、振り返って続けた。

「ただし、会計数値への影響は暫定的なものだ。役員の関心を引くには、春以降のアクションを示す必要がある。3つほど、提案をしたい」

夕焼けに染まる街並みを一瞥した後、氷倉は再びメンバーたちの方を向いた。その顔には今までに見せたことのない柔和さが浮かんでいた。

「提案というほどの検討には…」黒嶺が言いかけた。

氷倉は軽く手を振り、黒嶺の言葉を遮った。窓から射す光が、その手の動きに影を落とした。

「そんな派手なことは考えてないよ。そうじゃなく、課題を示したいんだ」

黒嶺は少し考えてから、ゆっくりと話し始めた。

「小売店舗でも、商業施設に入っているような大型店の場合には、賃貸借契約書の内容はしっかりと規定されています。しかし、小型店で個人から借りている場合、契約内容が曖昧だと感じる箇所もあります。これらを洗い出して、一度、弁護士と相談できれば嬉しいのですが…」

「いいね」氷倉の声が明るくなる。会議室の空気が微妙に変化した。メンバーたちは氷倉を注視していた。こんなにも率直に賛同するのは珍しいことだった。

「これは単なる会計の問題ではない。法的解釈が異なるリスクを抱えているということだ。会社としてのリスク管理の問題として伝えよう」

「私からも」

沙織が手を挙げた。彼女の声は意外に落ち着いていた。総務部に異動してから半年、沙織は確実に成長していた。誰もが彼女の変化に気づいていた。

「定期建物賃貸借契約の事前説明書類が、契約書と一緒に保存されていないケースがあって…」

「ああ、プロジェクトで議論していた件か」氷倉は腕を組んだ。「事前説明がないと、定期契約が無効となって、普通の賃貸借契約になるって話だろ。でも、それは借手に有利な方向とも…」

「それはそうですが」黒嶺が割って入る。彼の口調には反論の気配が漂っていた。「定期契約か普通契約かが明確でない中では、借手としても事業計画が立てられません」

「会計的にも」美咲の声が続く。「定期契約か普通契約かで延長オプションの有無が異なるため、オンバランスされる金額にも影響を及ぼします」

氷倉は納得したように頷いた。「経営上の不確実性という文脈で説明しよう」

窓から差し込む光が、次第に柔らかくなっていく。会議室の空気も、徐々に和らいでいった。会計という無機質な数字の世界の中に、人間の思い、迷い、決断が確かに存在していることを、全員が感じていた。

「もう一つ」美咲が静かに切り出した。「現在は表計算ソフトでシミュレーションしていますが、これだけの契約をオンバランスするには、システム対応が必要です」彼女は一瞬言葉を切り、慎重に続けた。「特に税務との関係で」

「会計と税務の乖離は珍しくないだろう?」

「今回は違います」美咲の声に力が込められた。「特に不動産賃貸借契約では、使用権資産に借地権や、返還されない部分の差入保証金や敷金なども含まれ、償却されていきます。将来的に、これらを含む使用権資産が減損となる可能性もあります。すると、これまでにはない範囲で税務調整が必要になります。これは、法人税や消費税の納付税額を算定するだけでなく、税効果会計の適用にも影響を及ぼします」

沈黙がしばらく続いた。美咲の言葉の重みが、全員に伝わった。

「そういえば」氷倉は何かを思い出した。その眼差しには、過去の記憶を掘り起こす知的な光が宿っていた。

「『旬刊経理情報』に掲載されていた『英国KAM事例分析から学ぶ新リース会計基準移行の留意点』という記事に、監査法人が税務専門家を活用して税務上の影響を評価していたKAMが紹介されていたな」

誠人は身を固くした。専門誌を十分にチェックしていなかったことを後悔した。何も発言できない。誠人の反応に気づいてか気づかずか、氷倉は話を続けた。

「税務処理を誤るリスクも大きい。システム対応は必須だな。これも取締役会で説明しよう」

氷倉は立ち上がると、「取締役会の2日前までには資料を完成させてくれ」と言い残して会議室を後にした。彼の足音が廊下の向こうへと遠ざかっていった。

その背中を見送りながら、誠人は不満げにつぶやいた。

「あいつの手柄のために作業しているんじゃないぞ」

その目線の先には、美咲の姿があった。彼女は窓の外を見つめ、何かを考え込んでいた。春の陽射しが、彼女の横顔を優しく照らしていた。

 

(第11話「監査法人との協議」へ続く)

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