花粉症って、つらいですね。ボクは目と鼻にするタイプ。先週くらいから、目が痒くて仕方がない。
こんなに辛いと、大学生の頃の浅はかな自分を説教してやりたいくらい。当時、田舎から東京に出てきたときに、大学の仲間が冬の時期に鼻をグシャグシャしている。どうしたのと尋ねてみると、花粉症の一言。
その頃、ボクがいた田舎では花粉症なんていう言葉や症状を見たことも聞いたこともなかったため、なんて都会的な疾患だと憧れすら抱いたほど。これが東京人なのかと関心したのを今でも覚えています。
しかし、その後、多分にもれず、ボクも花粉症にかかります。いや、花粉症のような風邪の症状だと思い込むようにしている。いったん認めてしまうと、負けてしまいそうだから。
この花粉症のような、でも、花粉症ではない症状にかかると、辛いのなんの。花粉症に憧れていた大学生の自分を正気に戻したい。
そんなときに、ある対処法を耳にします。以前から知ってはいたものの、最近、別ルートでもその対処法を聞くことがありました。すでに目がショボショボしているため、藁にもすがる思いで、それを実践することに。
手配したそれが、今日、手元に届きましたので、しばらく試してみるつもり。少しでも楽になるなら、儲けもの。
そこで、ふと思ったのが、中学生の頃に目指していた仕事。当時は、母親の体が弱かったことから、何とかできないかと思い、薬剤師になろうと考えていました。良い薬を処方できれば、辛さを軽減したり、なくしたりできるのではないかと。
だったら、医師になる道もありますが、なんせ血を見るのがダメ。今でも医療ドラマの手術シーンを見ることができないほどに、血を見るのが苦手。よって、医師の道はそうそうに閉ざされます。そこで、手術ではなく薬で人を救う道を標榜します。
そんな中、その道も閉ざされる出来事がありました。1980年代前半の頃、お医者さんと話す機会がありました。昭和バリバリの時代に、昭和の教育で医療の現場を育ってきた50代の医師。
薬剤師を目指したいと話したときに、その医師はこう話したのです。「男が薬剤師じゃ、食っていけないぞ」と。それが真実だったのかどうかは定かではありません。また、昭和の医師の偏見だった可能性もあります。
しかし、それを否定できる材料を中学生は持っていない。「えっ、人を助けようとしているのに、それでは生活ができないの?」と驚きのアドバイス。金持ちの道楽でやっている仕事じゃないため、それが本当なら困ります。
なので、その話を境に、薬剤師の道をきっぱりと諦めます。あれだけ母親を助けたいと思っていた気持ちは、どこへ行ったやら。その瞬間に別の道を目指します。
で、次に目指したのは、テレビ・コマーシャルを作る仕事。15秒という短い時間で商品の購買に導くことが単純にすごいと感じたのです。また、歌謡曲を通じて、いわゆる「ギョーカイ」に憧れがあったことも大きな要因。
さらに、糸井重里サンが脚光を浴びていた頃のため、「コピーライター」という肩書きが眩しく映ります。今、思えば、それはコピーではなくキャッチコピーですが、ワンフレーズで人の心を掴む様に、クラクラしちゃいました。
そんな夢も、入った大学のランクで潰れます。テレビ・コマーシャルを作るための企業に入社すらできないから。ただ、この頃の夢は、今、セミナーや研修でスライドを作るときに活かされています。
このように花粉症をきっかけに、自分の過去を振り返ってみました。薬剤師を目指していたことを、すっかりと忘れていましたよ。形は違えど、世間に役立ちたい気持ちは変わっていない。
それがライフケアという形なのか、会計関連という形なのかを問わず、誰かを良い方向に変容させたい。思い返すと、会計士となり、また、研修講師を通じてコピーライティングを学んでいました。スティーブ・ジョブズじゃないけど、点と点が繋がっているのを実感します。
あなたは、どんな点と点とが繋がっているでしょうか。それを振り返るのに、今がちょうど良い時期。それも、2020年3月10日までが適しています。「なぜ、その日なんだ」と不思議に思う前に、ぜひとも、ご自身を振り返ってみてください。