Accounting

『リースの数だけ駆け抜けて』第4話「定期契約の罠」

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温かい肉まんの袋を手に会議室に戻った夜島誠人の目が、一瞬止まった。机の上に広げられた契約書の束を、霧坂美咲が無言で見つめている。会計の世界では、沈黙にも意味がある。時として、それは言葉以上の重みを持つ。

「銀座店の契約書、出してもらえる?」

美咲の声は、いつもより少し低い。それは何かを予感させる声だった。陽野沙織は「はいはい~」と明るく応じた。

「ありました!」

沙織は分厚いファイルから一枚の契約書を取り出した。その表紙には「定期建物賃貸借契約書」と印字されている。

「事業用で、契約期間が5年。月額賃料が500万円。特約条項なし」

沙織の要約を聞いて、誠人は思わず身を乗り出した。答えが見えた気がした。シンプルな契約なら、会計処理も単純なはずだ。そう思い込んでいた。

「これなら簡単だ。更新オプションも解約オプションもない。リース期間は5年で確定!」

誠人の声が会議室に響いた瞬間、黒嶺尚吾の眉が微かに動いた。誰かの間違いを指摘する時、決まってそうする。

「そう単純にはいかないな」

黒嶺の低い声が、会議室の空気を変えた。誠人は口を開きかけたが、美咲が彼の方をちらりと見て、かすかに首を振る。待て、という無言のサイン。

「定期建物賃貸借契約には、知られざる落とし穴がある」

黒嶺はノートパソコンのキーボードに指を走らせ、借地借家法第38条第3項と第4項を画面に映し出した。文字が浮かび上がる度に、誠人の表情が曇っていく。自分の無知が白日の下にさらされていく。

「この契約が有効となるためには」黒嶺は意図的にゆっくりと言葉を紡いだ。その口調には、これから語る真実の重みが込められていた。「契約を締結する際に、事前に『更新がない』ことを書面か電磁的記録で説明しなければならない」

「それを怠ると?」

美咲の問いに、黒嶺は一瞬だけ目を閉じた。「契約は普通の賃貸借契約として扱われる。つまり―」

「借手に更新オプションが発生する」美咲が言葉を継いだ。かすかな緊張が混じる声だった。

「それって…重要事項説明書のこと?」誠人の声が震えた。

「それでは駄目だ。最高裁で否定されている」黒嶺の答えは冷徹だった。「独立した説明が必要なんだ」

美咲は無意識に背筋を伸ばした。「つまり、その事前説明書類の有無で、リース期間が変わるのね」

それは質問ではなく、確認だった。黒嶺が頷く前に、沙織の声が会議室に響いた。

「あっ!」

突然の声に、全員が振り向く。沙織の目が輝いていた。

「私が総務に異動した時、電子帳簿保存法対応で契約書類を全部デジタル化したの。その電子ファイルを確認すれば…」

沙織の声には、希望の光が込められていた。まるで、この場の重苦しい空気を一気に晴らすことができるかのように。

「システムにアクセスできるってこと?」美咲の声に、問題解決への道筋が見え、かすかな期待が混じる。

「ただし」黒嶺が言葉を挟んだ。会議室の期待感を一瞬で冷やす。「会社の情報セキュリティ規則でパスワード保護をかけているはずだ」

沙織は「了解です!」と敬礼のポーズまでとってみせた。誠人は気が抜けたように笑った。「やれやれ、危ないところだったな」

沙織がいたずらっぽく微笑む。「ちょっと安心するの、早すぎじゃない?」

美咲も小さく微笑んだ。「そうね。まだ書類が見つかったわけじゃないから」彼女の声には、現実を冷静に見つめる理性が感じられた。

誠人は苦笑しながら肉まんをかじった。「次はどの店舗の契約を調べる?」彼の軽い口調に、少しだけ場が和んだ。

窓の外では、冬の日が傾きかけていた。それは彼らの前に立ちはだかる課題の大きさを静かに映し出しているようでもあった。しかし、この四人の間には、確かな信頼関係が芽生え始めていた。それは、これから彼らが直面するであろう困難を乗り越えていく上で、何より大切な財産となるはずだった。

 

(第5話「プロジェクトの誕生」へ続く)

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