Accounting

『リースの数だけ駆け抜けて』第6話「モデルの構築」

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2025年2月上旬。雨が窓を叩く音が、会議室に静かなリズムを刻んでいた。霧坂美咲は、窓の外を眺めながら、心の中で計算を繰り返していた。彼女の頭の中に浮かぶ数字の一つ一つが、会社の未来を左右する可能性を秘めていた。

「そろそろ始めましょうか」

その声に、メンバーたちは思い思いの作業から顔を上げた。夜島誠人のスマートフォンの画面には電卓アプリが開かれたまま。陽野沙織の手元には契約書の束。黒嶺尚吾は法規の条文をノートに写し取っていた。新リース導入プロジェクトのメンバーだ。

「今日は社宅について確認します」

彼女の声は、いつもどおり確かだった。しかし、その裏側で美咲は誰にも見せない緊張を抱えていた。一つの判断ミスが、すべてを狂わせる可能性がある。だからこそ、完璧を求めざるを得なかった。

「調布の社宅ですね」沙織は契約書をめくりながら説明を始めた。「定期建物賃貸借契約で、更新なしの事前説明もある。居住用で契約期間2年、家賃10万円。それと」彼女は一瞬目を細めた。「中途解約条項。1ヶ月前の予告で解約可能」

「定期契約の要件を満たしているな」黒嶺の声は低く、しかし確かだった。「延長オプションはない。賃借期間は契約上の2年が上限だ」

美咲はノートを開きながら、次の段階へと話を進めた。しかし、その瞬間、誠人の視線が彼女に注がれているのを感じた。窓からの光が彼女の横顔を照らし、それは誠人の目にはまるで特別な輝きを放っていた。

「中途解約条項があるから、解約オプションの検討に入ります」美咲の声が、誠人の意識を現実に引き戻す。「経済的インセンティブを考慮して、『合理的に確実』な期間を判断しないといけません」

そこまで言って、美咲は次の言葉の重みを確かめるように、一瞬言葉を切った。

「この社宅がなければビジネスが成立しないことはないから、戦略的重要性は低い。解約しても大きなコストもかからない」彼女の指先がノートの上を滑る。「さらに、当社の人事異動は基本的に2年サイクル。この慣行を考えると、契約期間内に解約することはないでしょう」

「つまり」黒嶺が言葉を継いだ。「『借手のリース期間』は契約通り2年と考えられる」

会話の流れから取り残されそうになった誠人は、焦りを感じてスマートフォンの電卓アプリを開いた。指先がディスプレイを忙しなく動いていく。その動きには、彼なりの必死さが感じられた。

「毎月10万円で24ヶ月なら、リース料の総額は240万円。これを割り引けばリース負債が決まるな」彼は少し得意げに言った。

その言葉が終わる前に、美咲は優しい目で誠人を見つめた。その瞳には、どこか申し訳なさが混じっていた。

「間違いではないけれど…、簡便法を使えばオンバランスしなくてもいいの」

誠人の表情が一瞬曇った。美咲はそれを見逃さなかった。彼のプライドが傷ついたことを、彼女は理解していた。

「短期リースと少額リースは、簡便的な取扱いが認められています。将来に拘束されるキャッシュ・アウトフローが相対的に小さいと想定できるから」美咲は丁寧に説明を続けた。

「じゃあ、今までの議論は…」誠人の声が途切れる。

沙織が笑いながら割って入った。「そんなことないでしょ。『借手のリース期間』の決定がなければ、短期リースかどうかも判断できないんだから」

「でも、俺の計算は無駄になっただろ」誠人は少し拗ねた。

沙織は呆れたように答えた。「少額リースかどうかも、『借手のリース料』を集計しなければ判定できないでしょ。それに…」彼女はパソコンの画面を指差した。「夜島さんが計算しなくても、美咲先輩の表計算ソフトで自動算定されているから」

場の空気を変えるために、黒嶺が美咲に問いかけた。「ところで、少額リースの基準として何を使っているんだ?」

「固定資産の計上基準なら20万円だけど、不動産賃貸借契約にはとても適用できなくて…」美咲は指先で髪をかきあげながら答えた。「だから、従来のルールに従って、5,000米ドル基準ではなく、300万円基準のほうを採用しています」

「300万? それじゃ、不動産賃貸借契約は基本、無理ってこと?」誠人は思わず声を上げた。

「今のような社宅か、長く借りるつもりのない駐車場か、そんなところだろう」と黒嶺は静かに応じた。

「そうなんだけど…」誠人は言葉を選びながら続けた。「作業が無駄になった感じが嫌で。もっと効率的にできない?」

その素朴な疑問を聞いた美咲は、ゆっくりと立ち上がり、ホワイトボードに向かった。「夜島くんの指摘、面白いかも」彼女の唇に小さな笑みが浮かんだ。「順序を整理すれば、作業をもっと効率的にできるはず」

美咲はマーカーを手に、ホワイトボードに判断フローを描き始めた。彼女の手が動くたびに、誠人は彼女の集中した表情に見入っていた。それは、かつて大学の講義で見た、真理を追究する研究者を思い起こさせた。

「まず、『借手のリース期間』を決めるでしょ。次に、短期リースの判定」美咲の声が部屋に響く。「これが12か月以内で、しかも購入オプションを含まない場合には、オフバランス処理にできます」

彼女はさらに続けた。「そうでない場合に限って、リース料を集計する。この段階にきて、少額リースの判定を行う。こうすれば、無駄な計算を減らせるでしょ」

誠人は美咲の考えを見て、ようやく納得したように微笑んだ。その表情には、先ほどの落胆の色はなかった。「なるほどね。じゃあ、この流れで表計算ソフトの設定を見直す?」

美咲は頷き、すぐにノートパソコンに向かって作業を始めた。その真剣な横顔を見ながら、誠人は改めて彼女の才能に感心した。そして、自分の胸の奥にある気持ちに気づいていた。

彼女が遠くへ行ってしまう前に、何かを言葉にしなければならない。その思いが、誠人の心の中で静かに、しかし確実に形を成し始めていた。

 

(第7話「海外の知恵」へ続く)

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