組織の中で、あることが周知されているかどうか。内部統制の評価で議論にあがることがあります。例えば、会社のルールがどこまで従業員に理解されているか、というもの。
このとき、従業員に対して理解度チェックなどをする方法があります。理解度が高ければ周知できていて、その反対に理解度が低ければ周知できていない、という論法。
これ、ホントですか?
確かに、参考になるやり方かとしれません。しかし、それでは、ある従業員が理解していなくて間違ったことをしたときに、経営者がすべて悪いことになります。
ホントにホントですか??
今から10年ほど前、内部統制報告制度が導入される直前の頃、上智大学の上妻義直教授から、ヨーロッパの内部統制の評価の仕方を聞いたことがあります。その説明が腑に落ちたので、(ボクの記憶が正しいという前提で)シェアします。
上妻教授は、親の子どもに対するしつけを挙げて説明していました。
仮に、その子どもが万引きをしたとします。ここで、子どもが万引きをした事実があるからといって、親のしつけをすべて否定するのか、と問います。
もし、そうなら、親は子どもが万引きをしないように、常に横について見張っていなければ責任を果たしたことになりません。これは現実的な解決とは言えません。
そうではなく、親が子どもに対して、どのようにしつけていたのかを問うのだといいます。そのしつけ方をみて、それではダメだとか、そこまでしていたなら親の責任は果たしていると判断するのです。
この考え方は、合理的といえますよね。
内部統制も同じように、経営者のしつけ、つまりは周知の仕方を問うほうが、従業員の理解度を評価するよりも理にかなっていませんか。
子どもを追いかけるように、従業員の理解度チェックだけでは、何かひとつの事象でアウトという極端な評価になりかねません。あなたはまだ、理解度チェックで消耗しますか?
P.S.
CSRの関係でご一緒したときに、上妻教授のパワポ・スライドの作り方が匠の技で驚いたことがありました。
・上妻義直『CO2を見える化するカーボンラベル―フットプリントの算定から新動向まで』