最近、世界史の本で気になる本があります。それは、山﨑圭一サンによる『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書 公立高校教師YouTuberが書いた』(SBクリエイティブ)という本。思わず買ったのは、私だった。
なんでも、Youtubeに世界史の授業動画を公開して話題になった、現役の公立高校の先生が書いたそうで。ビジネスの世界で、動画を使えとよく言われています。そんな動画の波が教育の世界にもやってきているのがよく理解できます。
で、この本のウリのひとつが、主語の固定。世界史は1ページの中でも、説明文の主語が入れ替わります。これが世界史をわかりにくくさせている原因だと指摘。そこで、一定の期間、ある地域の歴史をメインにして解説するために、主語をヨーロッパや中東、インド、中国といった地域で固定して説明していくのです。
ボクの中で、一人称の視点を使った作品で強烈に印象に残っているものは、作家の橋本治サンが書いた『窯変源氏物語』(中央公論新社)。源氏物語のストーリーを光源氏の視点で現代語に訳した話題作。
そもそも、初めて出会った橋本治サンの作品は、『桃尻語訳 枕草子』。清少納言がイマドキの女の子が話しているかのような文体で話題になったもの。例えば、枕草子の冒頭の「春はあけぼの」は、「春って曙よ!」という感じ。今、訳すなら、「春ってワンチャン曙、それな」かな。
橋本治サンは、その後、古文の現代語訳をいろいろと手掛けます。枕草子の後には、『絵本 徒然草』(河出書房新社)。あの「つれづれなるままに」が、「退屈で退屈でしょーがない」に翻訳されます。吉田兼好が悩む姿がリアリティをもって描かれます。大学生の頃、この現代語訳で徒然草の思想に触れていたことが、今の考え方に影響を与えている気がしています。
話を戻して、『窯変源氏物語』。日本語の美しさをこの本で知ったといえるほど、綺麗な文章なんです。最初の「桐壺」の、この部分。
その更衣と帝とは、前の世にも契ることは深くあったのであろう。やがて、女は身籠ることになった。それまでに幾多の心労もあったではあろう。がしかし、女は遂に身籠った。
その女とは、私の母である。
その女と帝との間に生まれた玉のような御子――――それが私だった。女は身籠り、玲瓏玉の如しと言われる、麗しい器量の男子を産んだ。
さざ波立つ後宮に産み落とされた更なる緊張――――それが私の最初だった。
すごくないですか。「それが私だった」ですよ。「それが私の最初だった。」ですよ。この文章に痺れました。今、読んでも、ゾクゾクします。
光源氏の一人称で描かれていく手法は、わかりやすさ以上に、状況にリアリティをもたせています。「私だ」と言われた瞬間に、光源氏の仮面を被って外を見ている感じになります。母の桐壺更衣が覗き込んでくる顔が浮かぶよう。当時のボクは、単に「すごい描写だなあ」とコンテンツの受け手でした。
しかし、あれから、20年。今は、この手法を使ってコンテンツの送り手に変わっています。この一人称を使った手法は、会計不正の事例を紹介するときに活用しています。なぜなら、会計不正の調査報告書は少し読みにくい面があるからです。
会計不正の詳細は、第三者調査委員会といった組織によって調査結果報告書としてまとめられます。ただ、1,2ヶ月程度で調査からレポーティングまでを終えなければなりません。そんな時間的な制約があるため、事実の結果報告としては優れていても、読み物としては工夫の余地が残るものがあります。
そこで、ボクは会計不正の実行者の視点からまとめ直しています。例えば、共著『会計不正~平時における監査役の対応』における事例紹介の箇所であったり、プロネクサスさんで開催しているセミナー「棚卸資産の不正事例分析と平時対応」であったりと。だから、少しはわかりやすく、かつ、リアリティを出せているはず。
そのようにまとめ直しているときには、まるで映画やドラマの脚本家の気分でいましたが、思えば、『窯変源氏物語』の強烈な体験があるから、物書きとしてこの手法を使っているのかもしれません。こんなしびれる文章、綺麗な文章が書けるなんて羨ましい。
もし、このブログのどこかで、「それが私だった」的な文章を見かけたら、憧れが漏れていると優しく見守ってください。
P.S.
発売当時は単行本でしたが、今は文庫版になっていますね。ぜひ、手にとって、最初の5ページだけでもご覧ください。日本語の美しさにやられますから。
・橋本治『窯変 源氏物語〈1〉 (中公文庫)』