詰問(きつもん)。辞書によれば、相手を責めながら、返事を迫って問い立てることの意味。想定していない中で、詰問されちゃいました。
その相手は、会計士。ボクと同業者で、年上のかた。ボクの取り組みについて、ものすごい勢いで責め立ててくるのです。何かマウンティングするかのように。「なんだ、このオッサン」と思う一方で、「これが詰問ってヤツか」と言葉の意味を体感したことを楽しんでいました。
そこでの状況とは、ボクのプロトタイプについてコメントをもらう場。そういう意味では、いろんな指摘がいただけることは有り難いこと。自分が気付いていない点を教えてもらえるので、その取り組みをブラッシュアップできるからです。
ただ、ひとつ注文するとするなら、コメントをするときの言葉遣いが何とかならないものか。詰問の定義どおり、責め立ててくる。その前にボクが指摘したことが頭に来ていたのか、反撃と言わんばかりの言葉のチョイス。
ボクはファシリテーターを自認しているため、人に話しかけるときに、言葉のチョイスを気にしています。なぜなら、同じことを伝えるのに、わざわざ嫌な気持ちにする言葉を選択する必要がないから。状況によっては、むしろポジティブな言葉をあえて選択しています。
しかし、その会計士は、言葉のチョイスがなっていない。良く言えば、職業病。会計士は、クライアントが作った決算書を批判的に検討していくのが仕事。無批判に受け入れていては、粉飾決算なんて見抜けません。そこで、冷静な立場で決算書をひとつひとつ検討していくのです。
そんな風に、批判的に検討することに日々の大半を費やしているため、思考も批判的になれば、言葉のチョイスも特段の意識をしなければ批判的になりがち。だから、その会計士は仕事熱心だったと捉えるのが良いのかも。少し腹は立つけど。
幸い、ボクの場合にはそんなに長くは接しない相手なので、「あ~、そういう人なんだ」と割り切ることもできます。その瞬間だけの我慢で済むから。
しかし、日常的に接する人だと大変。クライアントだったり、同じチームのメンバーだったりと、その会計士の腹の立つ言葉のチョイスに振り回されてしまいます。そういうときには、「言葉のチョイスが悪いよと」はっきりと伝えても良いんじゃないでしょうか。
本人は相手を傷つけているなんて、微塵も思っていません。きっと、1ミクロンも思っていない。もちろん、一定数は意図的にそうした言葉をチョイスしている人がいるかもしれませんが、多くはそうではない。
「えっ、嘘だ」と思うかもしれませんが、何も考えずにそんな言葉をチョイスしているのです。あなたのように相手に気を遣うことを知らないだけ。その言葉のチョイスが相手の気持ちを害しているよと、その歳になるまで誰からも注意されずに育ってきたのです。そう、誰一人として。
子どものときには注意されますが、大人になると注意されません。注意されないから自分に問題がないのではなく、そこまでパワーを使ってもらえないだけ。そのパワーを使うだけの価値がないと判断された結果です。
反対に、大人になっても注意されるのなら、そのパワーを使ってでも注意する価値があると判断された証拠。むしろ、喜ぶべきなんです。
そう考えると、誰からも注意されずに育ったなんて、随分と可哀想な人だと思いませんか。確かに少しは腹も立ちますが、それじゃあ、そんな人のようになりたいかと言えば、決してそうではないハズ。
ボクらのように言葉に対する感度が高い人は、誰もが同じように気を遣って言葉をチョイスしているものだとつい思い込んでしまう。でも、現実はそうではないことを理解しておく必要があります。少しは楽になれますよ、そこの傷ついたボク。