ボクの昔からの目標のひとつが、海外の書籍を翻訳すること。地道に自分で翻訳した文章を日本で紹介したいと考えています。
翻訳を目標としているのは、翻訳本を出しているビジネスパーソンに影響を受けているから。例えば、マーケッターの神田昌典サン、作家の本田健サン、コンサルタントの勝間和代サンなど。
ビジネス書の多作家で人気がある方々は、翻訳本や監訳本を出しています。海外の情報やノウハウを日本語で紹介することで、日本人がビジネスの実務で役立てることができたり、キャリアの向上に活かしたりと手助けしている。そんな姿に憧れを持っています。
ただ、その憧れを掘り下げていくと、10代の頃の体験が大きなことに気づきました。それは、橋本治サンによる古典の現代語訳シリーズ。
最初は、高校生の頃に書店でたまたま見かけた『桃尻語訳 枕草子』(河出書房新社)。あの「春は、あけぼの。」で始まる古典です。教科書だと、「春は曙が良い」といった現代語に訳されています。
それが、橋本治サンの手にかかると、「春って曙よ!」という大胆な現代語に訳されていたのです。確かに、原文には、「あけぼの」で記述が止まっています。忠実に訳すると、橋本治サンが最も適切。しかも、書き手が若い女性という設定のため、ビックリマークをつけることで雰囲気も出てきます。
他にも、『絵本 徒然草』(河出書房新社)は大好きでした。「つれづれなるままに」で始まる古典ですね。これも、「退屈で退屈でしょーがない」と若かりし頃の兼好法師を見事に表現しています。週刊プレイボーイで連載されたいたときに、この連載を切り取って保存していたほど好きでしたね。
これらの現代語訳は、まず原文を表記し、次に現代語訳を示し、最後に解説を加えるという構成。この解説も当時の状況が教科書よりも理解できたため、古典はこれで勉強していました。
数年前には、認知科学者の苫米地英人サンによる、古典の現代語訳、いや添削にも衝撃を受けました。『一生幸福になる超訳般若心経』(学習研究社)や『洗脳論語』(三才ブックス)のタイトルのとおり、古典を添削しながら、その本当に言わんとすることを解説していくのです。
このように、教科書のような訳ではなく、理解しやすいことを重視した訳がボクは好き。学術的な観点からは正確な訳が欠かせませんが、その世界に触れたいときには、もう少し近寄りやすい訳だと嬉しい。それでいて、本質を外していない訳を。
これ、勝手な想像ですが、収益認識の新基準なども、こうした大胆な翻訳をすると理解が進むんじゃないかと。IFRSも、学術的な意味での正確な訳ではなく、実務で活用しやすくなるような日本語訳なら、より身近に感じられるのではないかと仮説を立てました。
あくまでも勝手な仮説であって、検証は何もしていません。ただ、JICPAの監査基準委員会報告を国際監査基準と比較すると、気づく点がいろいろとあります。なので、会計基準でも同じ状況なんじゃないかと考えています。
こうした状況になる理由は、基準の内容を理解することと翻訳することとは別のスキルだから。翻訳というと、受験のときのような直訳をしがち。しかし、ボクがイギリスのKAM(監査上の主要な検討事項)を翻訳したときに感じたのは、直訳では読み手にとって理解しにくいことがあります。
というのも、日本語と英語とでは表現の仕方が違うから。ボクのイメージでは、日本語は動詞で表現するのに対して、英語は名詞で表現する。だから、直訳すると、わかりにくい日本語になることがあるのです。
実際、翻訳には、直訳とは違う技が求められます。例えば、一般社団法人日本翻訳協会のサイトには、「翻訳英文法公式集」として31の翻訳の技が示されています。これらを見ていると、自然な日本語に翻訳するためには工夫が必要なことが理解できます。
だから、会計基準も、翻訳の技をつかって自然な日本語に翻訳するのが面白いと感じたのです。それを解説するときには、古典の現代語訳のように、まず原文を表記し、次に現代語訳を示し、最後に解説を加える構成とするのです。
この構成で、セミナーを開催したり、本を出版したりすると、海外産の会計基準の理解が進みそうじゃありませんか。そんな会計基準が、ビックリマークが付された翻訳や、若い女性が使う言葉での翻訳に変わるかもしれません。
ただ、会計基準の原文を掲載する料金がべらぼうに高そうなため、実現のハードルが高そうですが。こんな仮説の検証に興味があるという方とは、一緒に楽しいお酒が飲めそうですね。