今日は、いつものとおり、フィットネスクラブに通いました。自転車で行ったため、クラブ専用の駐輪場で停めていました。
クラブでは普段のメニューをこなし、さあ、帰ろうと駐輪場に戻ります。自転車を駐輪場から出そうとしたときに、問題が起こりました。ボクが駐輪場を出ようとしているのに、それを待つことなく、親子は駐輪場に入ろうとしたのです。
いやいやいや、違うでしょう。これは、俺のほうが優先されるべき、という感情論なんかではありません。「出ていく人、ファースト」理論に基づき全体最適な行動が何か、という論理的な議論。これは、世間で通用するものではなく、ボクが勝手に命名したもの。
この理論は、ある空間への出入りについて、入ってくる人よりも、出ていく人を優先することを説いています。だから、文字どおり、「出ていく人、ファースト」なんです。ちょっと考えてみれば、「出ていく人、ファースト」理論がいかに正しいかを理解できます。
前提として、入ろうとしている空間は、それまでの空間よりも小さい状態を想定しています。この小さな空間に入ろうとする人は、出ていく人を待ったほうが、その空間の中が混雑しない。
例えば、駐輪場でいえば、駐輪場のほうが、駐輪場の外よりも小さい。そりゃそうですよね、幅広い空間の中で駐輪場という枠を定めたのですから。とすると、駐輪場に入ろうとする人は、駐輪場から出ていく人を待つことが大事。
出ていく人よりも入ろうとする人を優先してしまうと、一定の空間の中にいる人が多くなります。それまで10名いた空間があったとすると、1名出ていくところ、それより先に3名入ってくると、13名になる。13名が一緒の空間にいる状態から1名が出ていこうとする。
一方、「出ていく人、ファースト」理論によれば、1名が出ていくことを優先するため、その空間は9名。少し余裕が生まれた状態で、新たに3名を受け入れる。結果的に12名になるのは同じですが、混雑度が違うのは明らか。
電車でも、同じ。電車が駅に着いたときに、扉が開いた瞬間に入ってこようとする人がいますよね。こういう人に限って自分のことしか考えていないため、どんどん割って入ろうとする。
しかし、その駅で降りようとする人もいます。降りる人を優先すれば、乗ろうとする人は余裕をもって電車の中に入ることができます。また、電車の中も、瞬間的な混雑も軽減できます。こんなことも、わざわざ「出ていく人、ファースト」理論と名付けなくてもわかりそうなもの。
この応用編は、電車の扉の脇に立っている人。扉が空いて収まる場所がありますよね。座席の一番端の扉側と言っても良い。扉の両サイドに、まるで自分の席だと言わんばかりに立っています。
これも、邪魔。出ていく人と入ろうとする人の流れを狭くしているから。その人達がいなければ、2列くらいで出入りができます。しかし、その場所に立っていることに固執しているものだから、出入りできるのは1列が良いところ。
しかも、入ろうとする人にとっては電車の中の様子を見えにくくさせており、また、出ようとしている人にとっては扉の前にどのように人が待ち受けているかを見えにくくさせている。
で、互いに様子を探ったり、ときにはぶつかったりとして、短い時間での乗り降りの障害となっています。迷惑なこと、極まりない。いったん、降りるなり何なりとしてほしい。それがわからないなら電車に乗ってはいけない、と日本国民を教育すべき。
こんなことに気づけない人は、きっとビジネスでも成果を出せていないだろうなと勝手に決めつけています。この在宅勤務の状態になったときには、朝からグータラして何も学習も仕事もすることなく、急に舞い降りたバケーションだと思い込むような人だと。
はっきり言って、この在宅勤務の期間は、ビジネスパーソンの力の差が大きく開くとき。バケーションと勘違いしたままか、あるいは、通勤時間を自分の学びに活かせるとコツコツと積み上げていくか。このブログを読んでいるあなたは、当然に後者のほう。ですよね。