不正リスクを監査報告書でどう語るのか――ISA 240改訂をめぐる論争
シリーズ第6回/全6回
国際監査基準240「財務諸表監査における不正に関する監査人の責任」の改訂版(以下、「ISA 240(Revised)」という。)には、「少なくとも一つの不正関連KAMを報告しなければならない」という要求事項はない。第5回まで、この「最低一件」をめぐる議論を追ってきた。
では、「最低一件ではない」と確認できれば、それで問題は終わるのだろうか。
2026年8月にJICPAが公表した監査基準報告書240「財務諸表監査における不正」の改正公開草案(以下、「監基報240公開草案」という。)を読んでいて、気になる一文があった。A180項である。
「不正に関連する監査上の主要な検討事項がないと判断することはまれであり、少なくとも一つは存在していると考えられる。」
その直後には、「特定の限定的な状況」では、不正関連KAMがないと判断する場合もあると続く。したがって、この一文をもって「最低一件が要求された」と読むことはできない。それでも、「少なくとも一つは存在している」という表現には目が止まる。
対応するISA 240(Revised)のA180項にも、`at least one`という言葉はある。ただし、そこには「少なくとも一つの不正関連KAMが存在する」とは書かれていない。書かれているのは、`would not determine at least one key audit matter related to fraud`(少なくとも一つの不正関連KAMを決定しない)である。
監査人が少なくとも一つの不正関連KAMを決定しないことは、まれかもしれないというISAの表現に対し、監基報240公開草案では、「少なくとも一つは存在していると考えられる」と表現されているのだ。
これは、単なる言い換えなのだろうか。それとも、「決定しないことはまれ」と「一つは存在する」の間には、KAMを決定するときの職業的判断を考えるうえで、何か違いがあるのだろうか。
そこで、不正関連KAMは、「ゼロ」から考えるものなのだろうか。ISA 240(Revised)から順に読んでいきたい。
ISA 240は、KAMを「あるもの」として始めていない
まず、ISA 240(Revised)が不正関連KAMをどう決めることにしているのか。その要求事項から見てみよう。
ISA 240(Revised)第60項で、監査人は、監査役等とコミュニケーションした不正関連事項の中から、監査を実施する上で特に注意を払った事項を決定する。その際には、不正による重要な虚偽表示リスク、不正又は不正の疑いの識別、不正の防止・発見に関連する内部統制の重要な不備などを考慮する。第61項では、そこからもう一段、絞り込む。第60項で決定した事項の中から、当年度の財務諸表監査において特に重要であった事項を決定し、それをKAMとする。
流れにすると、「不正に関連する事項→監査人が特に注意を払った事項→その中でも、当年度の監査において特に重要であった事項→不正関連KAM」となる。不正関連KAMだけに特別な選び方を設けたわけではない。
2023年6月のIAASB会議資料で、Fraud Task Forceは、不正関連KAMについてもISA 701と`same filtering mechanism`(同じ絞り込みの仕組み)を使うと説明していた。不正という観点から考慮すべき事項は加えるが、KAMを絞り込む仕組みそのものは変えない。
だから、不正による重要な虚偽表示リスクが識別されても、それだけでKAMになるわけではない。監査人が特に注意を払った事項だったのか。さらに、その中でも当年度の監査において特に重要だったのか。この二つの判断を通る。ISA 240(Revised)のA184項も、この決定プロセスは、当年度の監査においてどの事項が最も重要であったかについての監査人の職業的判断に基づくと説明している。
ここまで読む限り、出発点にあるのは「少なくとも一つの不正関連KAM」ではない。不正に関連する事項を順に絞り込み、その結果としてKAMが決まる。
ところが、ISA 240(Revised)の適用指針まで読み進めると、話はそれほど単純ではなくなる。
それでも、IAASBは「ゼロ」に中立ではない
ISA 240(Revised)のA179項では、不正に関連する事項は、監査人が特に注意を払う事項となることが`often`(しばしば)あるとされる。A180項では、上場企業の監査において、監査人が少なくとも一つの不正関連KAMを決定しないことは`may be rare`(まれであると考えられる)とされている。さらにA185項では、監査人が特に注意を払った不正関連事項の`one or more`(一つ以上)は、`ordinarily`(通常)、当年度の監査において最も重要な事項となり、KAMになるとされている。
このように、要求事項には「最低一件」と書かれていない。それでも適用指針では、`often`、`may be rare`、`ordinarily`という言葉によって、不正関連事項をISA 701の絞り込みにかけた結果として、不正関連KAMが一件以上となる方向へ監査人の判断が強く導かれている。
この強さは、起草過程ではもっと率直に説明されていた。2023年6月のIAASB会議資料で、Fraud Task Forceは、不正関連KAMを監査報告書で伝えるよう監査人を`drive`(導く)し、実施した監査手続に基づいて`at least one fraud related KAM`(少なくとも一つの不正関連KAM)の報告を促すことを意図していると説明している。そのために適用指針へ置くとしたのが、Task Force自身の言葉でいう`very strong steer`(非常に強い方向付け)だった。
もちろん、これは2023年6月時点の起草資料である。ここから最終版全体について、IAASBが一つの統一的な設計思想を貫いたとまで読むことはできない。ただ、最終版を見ると、`may be rare`も`ordinarily`も残った。
公開草案へのコメントを受け、IAASBは、不正関連KAMがない旨を監査報告書に記載するnegative statement(不正関連KAMがない旨の記載)は削除した。一方、これらの確率表現は弱めなかった。「結論の根拠」では、表現を弱めれば、監査報告書の透明性を高めるという目的と意図した強調が弱まると説明されている。
ここに、ISA 240(Revised)の少し難しい位置取りがある。一件以上を要求してはいない。だが、ゼロ件と一件以上を同じ重さで置いているわけでもない。
では、その微妙な位置取りをISA 240(Revised)のA180項は、実際にどのような言葉で表しているのだろうか。
A180は「一件が存在する」とは書いていない
ISA 240(Revised)のA180項には、確かに`at least one`という言葉がある。ただ、その前後まで読むと、少し違った姿が見えてくる。まず、KAMの決定には、監査人が特に注意を払った事項について、その相対的な重要性を判断することが伴うと説明している。そこから続くのが、次の一節である。
`it may be rare that … would not determine at least one key audit matter related to fraud`
ここで目を向けたいのは、`would not determine at least one`である。主語は監査人で、動詞は`determine`。A180項が述べているのは、上場企業の監査人が、少なくとも一つの不正関連KAMを決定しないことはまれかもしれない、ということである。つまり、「少なくとも一つの不正関連KAMが存在する」とは書かれていないのだ。
これは、単語一つの違いというだけではない。A180項の最後まで読むと、同じ`determine`がもう一度出てくる。限定的な状況では、監査人が不正関連KAMはないと決定する場合もある、とされている。
つまりA180項は、「相対的重要性を判断する→少なくとも一つを決定しないことはまれかもしれない→それでも、限定的な状況ではゼロと決定する場合がある」という流れで書かれている。
これは、ISA 240(Revised)の第60項・第61項で見た絞り込みともつながる。そこでも、不正関連事項の中から監査人が特に注意を払った事項を決定し、さらに当年度の監査において特に重要であった事項を決定していた。A180項の`at least one`も、その判断の流れの中に置かれているのである。
ISA 240(Revised)は、ゼロ件に中立ではない。それでも、「少なくとも一つが存在する」とは書かなかった。では、監基報240公開草案は、この一節をどう日本語にしたのだろうか。
JICPA案では「少なくとも一つは存在している」
では、監基報240公開草案のA180項を見てみよう。
冒頭はISA 240(Revised)と同じように、KAMは、監査人が特に注意を払った事項の相対的な重要性に基づいて判断される、という説明から始まる。その後に、「したがって、公に取引されている事業体の監査において、不正に関連する監査上の主要な検討事項がないと判断することはまれであり、少なくとも一つは存在していると考えられる。」と続く。
「まれであり」と文末の「考えられる」との係り受けには、やや不明瞭さが残る。ここでは、「不正関連KAMがないと判断することは、まれであると考えられる」という意味に読んでおく。
気になるのは、その後である。前章で見たISA 240(Revised)のA180項は、`would not determine at least one key audit matter related to fraud`(少なくとも一つの不正関連KAMを決定しない)であった。監査人が「少なくとも一つを決定しない」ことはまれかもしれない。
これに対して、監基報240公開草案には、「少なくとも一つは存在していると考えられる」という一文がある。ISA 240(Revised)にも`at least one`はある。だが、「少なくとも一つが存在する」という命題は置かれていない。
もちろん、これだけでISA 240(Revised)と監基報240公開草案の趣旨が異なるということにはならない。would not determine at least oneが示す方向性を、監基報240公開草案では「少なくとも一つは存在している」という形で表したものとも考えられる。
実際、監基報240公開草案の要求事項を見ると、KAMの決め方そのものがISAから変わったわけではない。第60項で監査人が特に注意を払った不正関連事項を決定し、第61項では、その中からさらに当年度の監査において特に重要であった事項をKAMとして決定する。だから、「存在」という一語だけを取り出して、JICPA案が最低一件を求めていると読むのは行き過ぎだろう。
それでも、一つ疑問が残る。「少なくとも一つを決定しないことはまれ」と、「少なくとも一つは存在している」は、KAMを決定する監査人に、同じメッセージとして受け取られるのだろうか。仮に両者が同じ趣旨を示しているとしても、実際の判断に同じように作用するとは限らない。
では、「少なくとも一つは存在している」という日本語を、実際の判断の場面に置いてみるとどうなるのか。
「存在する」と読むと、判断の順序は変わらないか
ISA 240(Revised)の要求事項に沿えば、出発点にあるのは不正関連KAMではない。不正に関連する事項について、監査人が特に注意を払った事項だったのかを判断し、その中からさらに、当年度の監査において特に重要であった事項を決定する。その判断を積み重ねた先に、不正関連KAMがある。
ISA 240(Revised)のA180項の`may be rare`は、こうした判断を経てゼロ件となることはまれかもしれない、と読む方向へ強く導く。それでも、判断の順序そのものを逆にするわけではない。
では、「少なくとも一つは存在している」と読んだ場合はどうだろう。この表現を強く受け取れば、監査人の頭の中で、「少なくとも一つは不正関連KAMがあるはずだ。では、それはどの事項なのか」という問いが先に立つ可能性がある。そうなると、個々の不正関連事項を評価した結果としてKAMが決まるのではなく、一件あることを見込んで、その候補を探すという思考に近づく。
違うのは、最終的な件数ではない。判断の順序である。
たとえば、どちらの考え方でも最終的に一件の不正関連KAMが決定されることはある。しかし、一件あることを前提とせずに個々の事項を比較した結果、その一件が残ったのか。それとも、一件はあるはずだという見方から出発して、その一件を選んだのかでは、同じ「一件」でもそこへ至る職業的判断は同じとは限らない。
もちろん、監基報240公開草案が後者の判断方法を要求しているということではない。第60項・第61項には、ISAと同じように、監査人が特に注意を払った事項からさらにKAMを決定するプロセスが置かれている。
だからこそ、「存在」という日本語が気になる。
要求事項では職業的判断による選別を求めながら、適用指針では「少なくとも一つは存在している」と伝える。その二つを実務家が一緒に読むとき、一件以上となる方向へ導くことと、一件以上あることを判断の前提にすることは、きちんと分かれて伝わるのだろうか。
この問いを考える材料は、監基報240公開草案のA180項だけではない。A185項を読むと、もう一つ気になる違いがある。
`one or more of`を読むと、もう一つの違いが見える
監基報240公開草案のA180項だけなら、「存在」という日本語をどう受け取るかという一文の問題にも見える。ところが、A185項を読み比べると、もう一つ気になる違いがある。
ISA 240(Revised)のA185項は、監査人が特に注意を払った不正関連事項について、`one or more of the matters related to fraud that required significant auditor attention … would ordinarily be of most significance`(監査人が特に注意を払った不正関連事項の一つ以上は、通常、当年度の監査において最も重要な事項となる)としている。ポイントは、`one or more of`(その一つ以上)である。
監査人が特に注意を払った不正関連事項が複数あれば、その一つ以上が通常、当年度の監査において最も重要な事項となり、KAMになる。ここには、「特に注意を払った不正関連事項」と「不正関連KAM」との間に、なお選別があることが文章の上でも現れている。
これに対して、監基報240公開草案のA185項は、「監査人が監査を実施する上で特に注意を払った不正に関連する事項は、通常、当年度の財務諸表の監査において特に重要な事項であり、よって監査上の主要な検討事項となる。」となっている。ISA 240(Revised)の`one or more of`に相当する「一つ以上の」という表現は明示されていないのだ。
もちろん、日本語の「事項」は単数にも複数にも読める。この違いだけで、ISA 240(Revised)と意味が異なるとまではいえない。
ただ、A180項と続けて読むとどうだろう。監基報240公開草案のA180項では、「少なくとも一つは存在していると考えられる」とされる。A185項では、「特に注意を払った不正に関連する事項は、通常……監査上の主要な検討事項となる」とされる。二つを続けると、「不正関連KAMは少なくとも一つ存在し、特に注意を払った不正関連事項は通常KAMになる」という読み方が、日本語では前に出てくる可能性がある。
ISA 240(Revised)にも、不正関連事項をKAMへ強く導く方向性があることは変わらない。ただ、A185項の`one or more of`は、その途中になお選別があることを見えやすくしている。
この点は、KAMの本体基準である監基報701も含めて考える必要がある。今回の監基報701公開草案のA18-1項にも、不正に関連する事項は監査人が特に注意を払う事項である「ことが多く」、特に注意を払った不正関連事項は「通常」、当年度の監査において特に重要な事項となりKAMになる、という方向付けが加えられている。
つまり、日本の実務家が目にするのは、A180項の「存在」という一語だけではない。監基報240と監基報701の双方に、不正関連事項をKAMへ向ける強い方向付けが置かれることになる。
だからこそ、第60項・第61項に残された職業的判断との関係が重要になる。一件以上となる方向へ強く導くことと、その一件がすでに「ある」ものとして判断することは、同じではない。
では、この二つをどう切り分ければよいのだろうか。
「ゼロはまれ」と「ゼロから考えない」を分ける
ここまで読み比べてきた文言は、似ているようでいて、同じことを述べているわけではない。
不正関連KAMの「一件以上」をめぐっては、三つを分けて考える必要がある。
① 最低一件を要求する
② 一件以上となる方向へ強く導く
③ 一件以上が存在することを判断の前提にする
ISA 240(Revised)が①ではないことは明らかである。「少なくとも一つの不正関連KAMを決定せよ」という要求事項は置かれていない。一方、②は明確にある。`often`、`ordinarily`、`may be rare`という適用指針の表現が、一件以上となる方向へ監査人を強く導いている。
では、③はどうか。少なくともISA 240(Revised)の文言には、「一件以上の不正関連KAMが存在することを前提として判断せよ」とは書かれていない。A180項が述べているのも、「少なくとも一つが存在する」ということではなく、監査人が少なくとも一つを決定しないことはまれかもしれないということである。
ここで、似ていた二つの話を分けることができる。「ゼロになることはまれ」と、「ゼロから考えない」は別である。前者は、職業的判断を行った先にある結果への方向付けである。後者は、その職業的判断を始めるときの前提にかかわる。
この区別に立つと、監基報240公開草案のA180項をどう読むべきかという問題も、少し違って見えてくる。
「少なくとも一つは存在していると考えられる」は、ISAが置いた②の強い方向付けを、日本語で表したものなのか。それとも、読む者によっては、③に近い意味、つまり少なくとも一つあることを前提としてKAMを考えることまで受け取られる可能性があるのか。
本稿で問題にしているのは、JICPA公開草案が③を要求しているということではない。むしろ、①ではなく②を選んだISA 240(Revised)の微妙な位置取りを日本語にするとき、②と③の境界がどこまで明瞭に伝わるのかということである。
その違いは小さく見える。だが、KAMが職業的判断によって決定されるものである以上、「何件になったか」だけを見ていては捉えられない違いでもある。
「最低一件か、ゼロ件もあり得るか」と問うだけでは、もう足りない。問うべきなのは、その判断をどこから始めるのかである。
このシリーズの出発点は、不正監査がなぜ「監査人は何をするのか」だけでなく、「監査人は何を語るのか」という監査報告の問題になったのか、という問いだった。そこから制度形成の過程を追うと、IAASBが最終的に選んだのは、不正関連KAMを最低一件とする仕組みでも、不正について何をKAMとするかを完全に中立な状態で監査人の判断だけに委ねる仕組みでもなかった。
ISA 701による職業的判断の仕組みは残す。その一方で、不正関連KAMが監査報告書に現れる方向へ強く導く。ISA 240(Revised)が置いたのは、その二つの間にある微妙な境界線だった。だからこそ、その位置取りを日本語でどう表すかも、単なる言葉遣いの問題ではないのである。











