マスコミなんて、信じられない。って、極端なことを言うつもりはありません。ただ、常に正しいことが伝えられているワケでもない。そんな風に感じた原体験があります。
その昔、ボクシングに取り組んでいた時期があります。パンチで相手を殴り倒す、あの格闘スポーツのボクシング。学校の部活動じゃなく、ボクシングジムに通っていました。
通っていた時期は、小学校5年から高校2年まで。小5の子どもが通い始めたため、ジムの会長も「こんな小さい子が来たけど大丈夫か?」と実は心配していたようです。
その頃、周りの友だちが剣道をしている中で、何かスポーツをしたいと思っていました。ちょうど週刊少年ジャンプで漫画「リングにかけろ」が流行っていたこともあって、ボクシングジムに通い始めたのです。
話は反れますが、この漫画のすごいところは、現実にはない必殺技のパンチを繰り出すと、相手が会場の外に飛んでいってしまう描写。しまいには背景が宇宙になるほど。それでもワクワクして読んだり、「スペシャルローリングサンダー」とか「ギャラクティカマグナム」なんて叫びながらマネしたりしたものです。
話を戻すと、ジムに通い始めて2日目に、先輩たちのスパーリングの様子をリングの真横で見たことを覚えています。殴られて流血しながらも戦い続けていた姿に、なぜだか感動したのです。今じゃ病院ドラマの手術シーンもまともに見られないのですが、格闘技のすごさを目の当たりにして興奮したのかもしれません。
そうしてジムに通って1年経った頃、子どもがボクシングを習っていると耳にした地元の新聞記者から取材の依頼がありました。ボクと母親にインタビューをして1週間ほどすると、夕刊に掲載されるとの連絡があり、親子でその記事を読んだところ、唖然。
「こんなこと、言っていない」
そこには、まったく話していないことが記載されていたのです。その記事には、ボクが「3時のおやつがなくて泣いていた」というのです。どうやら、ボクシングを始めて強くなったストーリーに当てはめたかったのか、事実ではない内容があたかも母親が話していたかのように紹介されていたのです。
次の日に学校に行くと、案の定、「3時のおやつがなくて泣いてたやつだ~」といじられます。幸い、やりすぎると殴られると思ったのか、軽くいじりで済みました。これがボクシングじゃなきゃと思うと、ゾッとします。
もちろん、地域の平和ネタのため、少し話を盛ることはあるでしょう。また、記者のフィルターで事実が切り取られる性質上、どこまでいっても主観であることには違いありません。
しかし、だからといって捏造は超えてはいけない一線。たとえ悪意がなくても。その覚悟や責任がないと、記事を書く資格がありません。
こんな原体験があるものだから、報道されることは必ずしも真実ではないというスタンスでいられます。この件がなければ、未だに報道される内容を無批判に信じていたかもしれません。
大人になってからも、自分の専門分野に関する報道をみると、間違った前提で議論されているケースや、ミスリードするように伝えているケースなどを見かけることがあります。裏を返せば、自分の専門分野ではない報道でも、同じことが起きていてもおかしくはない。
だから、ボクらは、自ら一次情報にあたったり、信頼できる専門家の意見を聞いたりすることが必要。特に、自身や社会に与える影響が大きな報道の場合には、批判的に検討する姿勢が大事。そんなエセ報道で、試合会場の外まで殴り飛ばされちゃかないませんから。
P.S.
よく報道で見かける「自己責任」という言葉。これが、冷たく突き放すような使われ方になっていると、こちらの本で知りました。何気ない言葉でも無批判に使うのは危険ですね。
・苫米地英人『苫米地博士の「知の教室」: 本当の知性とは難しいことをわかりやすく説明することです! 』