グローバリゼーションとローカリゼーション。これまではグローバリゼーションが進み、世界中で規格が統一されていく流れでした。特にインターネットが普及すると、マネーはもちろんのこと、情報やコンテンツなども世界に広がっていきました。
一方で、今後はむしろローカリゼーションに向かうなんて話もあります。世界を目指すのではなく、地域を固めていくイメージでしょうか。イギリスがEUを離脱するBrexitはその象徴のように捉えられることがあります。
また、今回の新型コロナウイルスがパンデミックを起こすと、自ずと封鎖せざるを得ません。こちらが閉ざさなくても、向こうが閉ざしてくれば、同じこと。どこまでも繋がっていることのリスクを見せつけられたともいえます。
確かに、ローカリゼーションへの反動もあるでしょう。何事も振り過ぎたものには、振り戻しがありますからね。株価も急騰すれば急落することもあれば、その反対に急落すれば急騰することもあります。
とはいえ、ここまで進んだグローバリゼーションから得られる便益もそうそうは手放させないのも事実。ある種の不便さに戻るようなローカリゼーションは果たして現実的なんだろうかと疑問にも思います。
こうしたモヤモヤがあった中で、今日、ひらめきました。昨日のブログ「2週間で5つのオンライン会議ツールを使ってみた」から、ふと思いついたのです。もしかすると、他の誰かがもう主張しているかもしれませんが、それを知らないボクはピンと来ました。
グローバリゼーションの反動として、これから訪れるローカリゼーションは物理的なエリアに限られない、ということ。日本のどの地域だとか、日本がどうだ、どこかの国や地域がどうだとか、そういった地理の話じゃないのです。
それは、コミュニティという分割された単位でのローカリゼーションなんじゃないでしょうか。
昨日のブログでは、ひとつのチャネルにこだわっているとダメだとお話ししました。その例え話として、通信手段を伝書鳩にこだわっていると、世間が電話に切り替わったときに明らかに乗り遅れますよ、と今日、ふと思いつました。
ここで、気付きました。その電話も今じゃ、使われる頻度がなくなっていると。かつての電話のようにコミュニケーションしたいときには、LINEやFacebookのメッセンジャーなどのアプリを使っているじゃないかと。
このように、属しているコミュニティによって、コミュニケーションのツールが異なっている現実が今、起きています。そのコミュニティは、世界中と繋がることができます。アプリの中で、プラットフォームの中で、物理的な地理を問わずにコミュニケーションがとれます。
しかし、だからといって、グローバリゼーションの文脈でいうような世界的な繋がりとも違います。コミュニティによって世界が分割、分断されているから。物理的な仕切りではなく、コミュニティという仕切りによって、それぞれの世界が成り立っている。
なるほど、グローバリゼーションの反動としてのローカリゼーションとは、コミュニティなんだと腑に落ちました。
個人が属するコミュニティは何もひとつだけではありません。仕事や趣味、付き合いなどに応じて複数の場があります。昭和のような勤める職場だけ、というものではない。深い、浅いはあれど、誰もが複数のコミュニティに属している時代に、もう、すでに、なっているはず。
だからこそ、繋がれるチャネルを複数持っていないと厳しいんですよ。ひとつだけのチャネルだけでは繋がる世界が限定されます。昨日の話でいえば、Skypeだけしか使えずに、Microsoft TeamsやCisco Webexなどに対応できないと、Skypeが使える人だけしか出会えない。
随分と、すっきりしました。やはり、振り戻しって、元の世界に単純に戻るのではなく、螺旋状に発展していくものですね。さて、アフター・コロナ、ウィズ・コロナの時代はいかに。