会計不正が顕在化したときに監査役等に問われるのは、「なぜ防げなかったのか」という一点ではありません。
本当に問われるのは、「当時、何を前提に判断していたのか」です。
監査役等が、会計監査人の判断を相当と見た理由を、判断の前提や射程まで含めて説明できる状態。それが、日本の監査役制度が成熟した姿ではないでしょうか。
監査が「発見の制度」ではなく、「説明可能性を担保する制度」として機能すること。これが、私の描く未来像です。
共有されない前提
現実の実務では、会計不正リスクの評価は会計監査人の専門的判断に委ねられています。監査役等はその判断に介入しません。しかし、会計不正が起きれば、「なぜその判断を相当と見たのか」と問われます。
多くの場合、結論は共有されています。ところが、判断の前提や射程は十分に言語化されていない。
「リスクは低い」という評価は、内部統制が機能し続けるという前提の上に成立する条件付きの判断です。ところが、その前提が何であったのかは、必ずしも明確に共有されていないのです。
ここに、制度と実務のあいだの空白があります。
制度構造の読み違え
この空白は、監査役制度の構造が十分に読み解かれていないことに起因しています。
会社法は、監査役に取締役の職務執行を監査する責務を課しつつ(会社法381条)、業務執行からは切り離しています。監査等委員会や監査委員会の制度も、執行と監督の分離という原理を共有しています。つまり、監査役は「判断を下す者」ではなく、「判断の相当性を説明する者」として制度設計されているのです。
それにもかかわらず、監査を「チェックの精度」の問題として理解すると、結論の妥当性ばかりに目が向き、判断の前提を問う視点が後景に退きます。
また、会計不正リスクを「手口」として捉える理解も、制度構造とずれています。手口は事後的に整理されるものであって、平時に共有すべきは、業務プロセスの中で情報が別の情報へと転換される局面、すなわちリスクが構造的に内在する地点なのです。
制度は「前提を問う立場」を用意しているにもかかわらず、その立場が十分に活用されていない。そこに原因があります。
問いを実装する
そこで私は、「問いかける監査」という姿勢を提案します。これは抽象的な理念ではありません。制度の構造に即して、日常の対話の中に実装できる思考です。
この思想は抽象論にとどまりません。実際の対話の場では、判断が依拠している構造とその成立条件を言語化することが求められます。重要なのは、結論の正否ではなく、判断がどの想定のもとで組み立てられているのかを共有することにあります。
注意すべきは、このような問いは、会計監査人の職業的判断に介入するものではない点です。むしろ、その判断の射程と限界を明確にし、監査役等が説明責任を果たし得る状態を平時から整えるための実務的な装置なのです。
執行と監督を分離する日本の監査役制度は、監査役等に「結論を出す権限」ではなく、「前提を問う機能」を与えています。問いを設計することは、この制度構造を現実の実務に接続する営みにほかなりません。
2026年2月25日発刊の『月刊監査役 785号 2026年3月号』では、この視点を会計不正リスクの文脈で整理しました。業務プロセスと情報の流れに内在する構造から、判断の成立条件をどのように読み解き、対話に落とし込むかを具体化しています。
監査役監査は未来を予測する制度ではありません。しかし、判断の前提を可視化し、その揺らぎを共有することによって、変化の兆しに備える制度であることはできます。
問いを持つかどうか。それは姿勢の問題であると同時に、制度理解の問題でもあります。「問いかける監査」は、日本の監査役制度が内包している構造的可能性を、実務において機能させるための思想なのです。









