気候変動対策が本格化するなか、多くの企業がバイオマス(木材・木質ペレットなど)やバイオ燃料を脱炭素戦略の柱に据えてきました。石炭や天然ガスに代わる再生可能エネルギーとして分類されてきたからです。しかし今、その前提を根底から問い直す議論が、IFRS S2という気候開示で浮上しています。
物理的な事実として、バイオマスを燃焼させれば、石炭と同様にCO₂が煙突から排出されます。乾燥木材1トンを燃焼させれば、大気中におよそ1.8トンのCO₂が放出されます。排出される分子レベルのCO₂は、石炭由来のものと何ら変わりません。にもかかわらず、多くの国の排出量の帳簿にはこの数字が現れないのです。それは科学的な根拠によるものではなく、国際的なルールの取り決めによるものです。
■煙突の煙が帳簿に残らない理由——1995年以来の会計ルール
その根拠となるのが、UNFCCCへの国家排出量報告の基礎をなす「2006 IPCC国家温室効果ガスインベントリガイドライン」です。
同ガイドラインのもとでは、バイオマス燃焼によるCO₂は、物理的にはエネルギーセクターで発生していても、AFOLU(農業・林業・その他土地利用)セクターにおける炭素ストックの変化として計上されます。エネルギーセクターでは「情報項目(memo item)」として記録されるにとどまり、排出量の合計には算入されません。二重計上を避けるための実務的措置として、1995年の最初のIPCCガイドライン以来採用されてきた仕組みです。
このルール自体は、バイオマスをカーボンニュートラルと断定するものではありません。AFOLUセクターとエネルギーセクターの両方を合算すればグローバルな排出量が正確に把握されるという前提のもとに設計された、技術的な会計措置です。
■国境を越えると崩れる前提——国際取引が生む構造的矛盾
しかし、この前提は、バイオマスが国境を越えて大量に取引される現実の前で大きく揺らぎます。バイオマスが輸出される場合、その燃焼・酸化によるCO₂排出量は、バイオマスが実際に使用される国のエネルギーセクターの排出量合計には算入されません。現行のアプローチのもとではグローバルな二重計上につながるためです。結果として、木質ペレットを輸入して発電する国は、煙突からCO₂が出続けているにもかかわらず、自国のエネルギー排出量にそれを計上せずに済みます。
この構造が実際にどのような規模の問題をもたらしているかは、英国のドラックス発電所の事例が端的に示しています。同発電所は2020年にバイオマス燃焼から1,320万トンのCO₂相当を排出しました。しかし、この排出量は英国のエネルギーセクターの排出量合計には算入されず、同年に再生可能エネルギー補助金として8億3,200万ポンドを受け取ったと指摘されています。
https://www.clientearth.org/projects/the-greenwashing-files/drax
エネルギーセクターの帳簿上に現れない排出量を生み続けながら、「再生可能エネルギー」として巨額の公的支援を享受できた構造は、このルールに支えられています。会計上の取り決めが、現実の排出量を見えなくする。その構造が国家レベルで実証されたケースです。
■企業開示への波及——GHGプロトコルが持ち込んだ「別枠」慣行
こうした問題は、国家レベルにとどまらず、企業の気候関連開示にも同様の問いを投げかけます。企業が温室効果ガスの排出量を測定・開示する際の事実上の国際標準として広く普及してきた「温室効果ガスプロトコルの企業算定及び報告基準(2004年)」(以下「GHGプロトコル企業基準」)もまた、バイオマス燃焼によるCO₂を「スコープ外」として別枠で報告することを求めてきました。
同基準の第9章「GHG排出量の報告」は、必須開示情報の一つとして「生物由来の炭素(バイオマス/バイオ燃料の燃焼)からの直接CO₂排出量をスコープとは別に報告すること」を定めています。さらに第4章「操業上の境界の設定」においても、「バイオマスの燃焼による直接CO₂排出量はスコープ1に含めず、別途報告すること」が明記されています。つまりGHGプロトコルのもとでは、バイオマス燃焼によるCO₂はスコープ1・2・3のいずれにも算入されず、それらとは切り離された「別枠」として扱われてきました。
IFRS S2はこのGHGプロトコルを参照しつつも、すべての温室効果ガスの排出の絶対総量の開示を義務付けています。バイオマス燃焼から生じるCO₂は、企業のスコープ1・2・3の開示に含めるべきなのか、それとも別枠のままでよいのか。こうした齟齬を受けて、ISSBの移行支援グループ(TIG)に対して解釈の照会が提出されたのが、2026年3月のスタッフペーパーの出発点です。
なお、以上のUNFCCCおよびGHGプロトコルをめぐる背景は、TIGスタッフペーパー本体に直接記載されているものではなく、問いの構造的文脈を理解するために筆者が補足したものであることをあらかじめお断りしておきます。







