私は、大学の研究者ではありません。
研究機関のポストも、研究に専念できる立場も持ちません。
それでも、竹村純也という個人名で、KAM(監査上の主要な検討事項)について考え、書いてきました。
制度、開示、内部統制、ガバナンス、そして保証業務への広がりについて。
実務の現場に立ちながら、5年以上にわたって。
そうした中、2026年3月31日、日本監査研究学会のウェブサイトに、適用後レビュー「『監査上の主要な検討事項』(KAM)導入後における監査報告書改善に関する実証的研究」の報告書が掲載されました。
https://audit-association.jp/download.html
この報告書を確認したところ、拙著と拙稿が、参考文献一覧で件数面でも最上位層に位置し、また、本文の論点整理や資料編の研究整理でも具体的に言及されていました。実務家として書いてきたものが、学会のレビューの中で先行研究として扱われていたことを、率直にうれしく思います。
今回の適用後レビューは、KAM導入後5年間の実務を前提に、導入趣旨がどこまで達成されたのか、達成されていないとすれば何が原因か、今後どのような改善が必要かを客観的に明らかにすることを目的として実施されたものです。報告書は、KAM導入の意義を「監査の透明性の向上」と「監査報告書の情報価値の向上」に置き、そのうえで、監査プロセス情報の提供、利用者の理解の深化、経営者との対話、監査人と監査役等のコミュニケーション、コーポレート・ガバナンスの強化などの論点を個別に検証しています。
そうしたレビューの中で、自分が実務家として考えてきた論点が実際に扱われていました。今回強く感じたのは、そのことの重みです。
実務家として、何を書き続けてきたか
私がKAMについて書いてきた関心は、記載例の巧拙や、文言の整え方そのものにあったわけではありません。一貫して考えてきたのは、もっと手前と奥にある問いです。
KAMは、単に監査報告書に追加された一項目なのか。それとも、監査の透明性をどう高めるか、監査報告書の情報価値をどう引き上げるか、さらに監査・開示・ガバナンスの関係をどう見える形にするかを考えるための制度なのか。
この問いから出発すると、関心は自然に広がります。会社固有の状況がどこまで具体的に書かれているのか。その記載は、読み手にとって本当に理解できるものになっているのか。KAMは、監査役等の監査や内部統制報告制度とどう関係しているのか。さらに、その発想は財務諸表監査の外側にも広がりうるのか。
今回のレビューで参照された拙稿は、まさにそうした論点に関わるものでした。
KAMに問い続けてきたこと
KAMは、存在しているだけでは足りません。問うべきなのは、「KAMがあるかどうか」ではなく、「KAMが何を伝えているか」です。
会社固有の状況が書かれているか。なぜその事項が重要だったのかが伝わるか。監査人がどう向き合ったのかが読み取れるか。その記載が、監査・開示・ガバナンスの関係を考える手がかりになっているか。
今回のレビューの評価枠組みも、この方向を向いています。報告書は、KAM導入の趣旨として監査の透明性や情報価値の向上を掲げたうえで、監査プロセスに関する情報提供、理解の深化、対話の促進、ガバナンスの強化などを検証の論点としています。KAMを単なる追加記載としてではなく、監査をどう伝える制度なのかという観点から評価しているのです。
私はこの5年間、その問いを手放さずに書いてきました。制度が定着しても、その問いが古くなることはないと考えていたからです。
定着の陰に残る課題
KAMをめぐる議論では、個別事例の良し悪しや記載の巧拙に関心が集まりやすい面があります。しかし、そこで議論が止まると、より根本的な問題が見えにくくなります。本当に問うべきなのは、この制度が導入時に期待された役割を果たしているのか、という点です。
記載は存在していても、会社固有の事情が十分に伝わらないことがある。透明性という言葉は使われていても、読み手にとって理解可能な情報になっていないことがある。KAMが監査報告書の中だけの話として処理され、ガバナンスや内部統制との関係が見えにくいこともある。
今回のレビューでも、こうした課題は明示的に扱われています。会社固有の状況についての具体的記載、透明性や理解可能性、記載要素の欠如や記載内容の偏り、KAMとガバナンスの関係などが先行研究整理の中で論点として示され、その中で拙著や拙稿も参照されています。
ここで重要なのは、これらを単なる「書き方の改善点」として片づけないことです。何を、どう書くかという問題の背後には、KAMを何のための制度として捉えるかという、もっと大きな問いがあるからです。
なぜ、実務家の論考が先行研究として扱われたのか
なぜ、実務家が書いたものが学会のレビューで先行研究として扱われたのか。私は、その理由は比較的はっきりしていると感じています。扱っていた論点が、制度の評価にとって必要な論点だったからです。
今回のレビューの中で、拙稿は少なくとも四つの文脈で具体的に位置づけられていました。
第一に、会社固有の状況をどう記載するかという論点です。拙稿「監査上の主要な検討事項(KAM)」(『企業会計』第72巻第11号)は、会社固有の状況についての具体的な記載内容を評価する研究群の一つとして挙げられています。KAMの価値は、整った定型文ではなく、その会社の状況、判断、リスク、背景をどこまで伝えられるかにあります。この問題意識が、好事例評価の文脈で扱われていました。
第二に、透明性や理解可能性の論点です。拙稿「エネチェンジ社のKAMをもとに検証 監査報告を通じたコミュニケーション機能はどうあるべきか」(『旬刊経理情報』第1720号)は、記載要素の欠如や記載内容の偏りという課題の文脈で参照されています。形式的にKAMが記載されていても、読み手にとって理解しにくい、あるいは情報が偏っているなら、それは十分な透明性とはいえません。
第三に、KAMとガバナンスの関係です。拙稿「KAMと内部統制報告制度との関係」(『内部統制』第13号)は、監査役監査、三様監査、内部統制報告制度などとの関係を論じる文脈で参照されています。資料編では、KAMと内部統制報告制度との関係を分析した規範的研究として整理されるとともに、KAMで取り上げられた論点が内部統制報告書の記載や経営者評価とどう関係するか、そこにどのような実務上の制約があるかが要約されています。KAMをガバナンスから切り離さずに考える視点が、レビューの中で明確に扱われていました。
第四に、保証業務への広がりです。拙稿「統合報告の保証業務における『主要な検討事項』の有用性」(『現代監査』第32号)は、KAMの発想を財務諸表監査の外側に広げ、保証業務の透明化やガバナンスの可視化に応用しうるものとして論じた研究として整理されています。
これらはいずれも、制度が何を実現しようとしていたのか、それが今どこまで機能しているのかを考えるための論点です。そのために、実務家の論考であっても先行研究として意味を持ったのだと思います。
5年後に、問いはなお有効だった
KAM導入から5年が経ち、制度としての定着は確かに進みました。しかし、今回の適用後レビューが問うているのは、定着そのものではありません。KAMは透明性を高めたのか。情報価値を高めたのか。対話やガバナンスの実質に結びついているのか。
自分の論考がレビューの中で扱われていたことは、過去の仕事が振り返られたというだけの出来事ではありませんでした。実務の中で立ててきた問いが、5年後の適用後レビューにおいてもなお有効な検討課題として残っていたことを確認する機会でした。それが、私にとっての手応えです。
「どう書くか」より、「何が伝わるか」
KAMについて考えるとき、多くの実務では「どう書くか」が先に立ちます。もちろん、その問いも必要です。しかし、本当に大事なのは、その一歩先にある問いです。
何が伝わるのか。なぜそれが伝わるべきなのか。その記載は、誰の理解に資するのか。そして、その情報は、監査・開示・ガバナンスのどこに働きかけるのか。
書き手の都合ではなく、読み手の理解。記載の存在ではなく、情報の実質。制度への形式的準拠ではなく、制度が期待した役割への応答。
今回のレビューを読んで、あらためてそのことを感じました。KAMを考えるうえで重要なのは、文言を整えること自体ではなく、その記載が何を伝えているかを問い続けることだと思います。
KAMは、これからも問われ続ける
KAMは、導入されたことで終わる制度ではありません。どのように記載され、どのように読まれ、どのように対話やガバナンスにつながっていくのか。その評価は、これからも続いていくはずです。
今回、拙著や拙稿が参考文献一覧で件数面でも最上位層にあり、本文や資料編でも具体的に扱われていたことは、実務家として大きな励みになりました。同時に、それは、実務の中から立ててきた問いが、なお考え続けるべき論点として残っていることを示しているようにも感じます。
KAMをめぐる制度、監査、開示、ガバナンスの論点については、今後も折に触れて整理していきたいと考えています。










