「修正しなくてもよい」と、「修正を選べない」。
同じことではない。ところが、後発事象の「特例」と聞いたとき、この違いはどれほど意識されているだろうか。
日本基準には、修正後発事象の定義に該当する重要な事象であっても、発生時期などの条件によって、財務諸表を修正せず、開示後発事象に準じて注記する取扱いがある。企業が選んで使えるものではない。対象となれば、その取扱いに従うことになる。「それでも、原則どおりに財務諸表を修正したい」と考えたとしても、その選択肢はない。
私は、このことに長く引っ掛かってきた。
好きな会計処理を選ばせてほしい、という話ではない。原則では修正につながる事象なのに、その影響を財務数値に反映する道まで閉ざす必要があるのか。単なる手続の問題というより、企業の権利が奪われているようにさえ感じる。
この取扱いが設けられた当時の事情は理解できる。二つの開示制度の下で、決算数値を揃えることへの配慮もあった。しかし、当時の事情を理解することと、いまも同じ取扱いを続けることに納得することは、別である。
そもそも、会社法の計算書類と金融商品取引法の財務諸表は、必ず同じ数値でなければならないのか。
秋葉賢一先生の解説では、弥永真生先生の見解として、両者の単一性を求める定めは存在しないと紹介されている。私も2025年の『企業会計』への寄稿で、両制度で異なる数値が報告された事例を取り上げた。
揃っていることを当然の前提にする前に、なぜ揃えなければならないのかを確かめたい。その疑問から、昨年は特例そのものの是非を論じた。
その後、新しい会計基準と適用指針が公表されたものの、特例的な取扱いは基本的に踏襲された。見直しを行うかどうかの検討時期は、有価証券報告書と事業報告等の一体開示の検討状況等を踏まえて判断する、という。
現在は、一体開示にとどまらず、開示書類の一本化と会計監査の一元化が議論されている。一元化によって両制度の後発事象の評価期間が一致すれば、特例を必要としてきた事情は解消される。
しかし、それまで原則どおりの修正を認めない理由があるのだろうか。両制度で決算数値を必ず一致させる理由がないのであれば、企業が原則どおりに財務諸表を修正する道を、今から開いてもよいのではないか。
それなのに、その取扱いを強いられる企業自身からは、異議が聞こえてこない。特例の問題を指摘する論者はいるものの、私の見聞きする範囲では、会計・監査の専門家の間でも、見直しを求める動きは目立たない。
もっとも、声が聞こえないことと、誰もが納得していることは別の話だ。その静けさも、私には不思議である。
特例そのものへの疑問は、今も変わらない。ただ、今回の寄稿には、もう一つ、企業の側から気になることがある。
IFRS会計基準に慣れた投資家は、「財務諸表の公表の承認日」をどう読むだろうか。その日までに発生した修正を要する後発事象は、本表の数値に反映されていると受け取ることはないだろうか。
ところが、日本基準では、特例によって修正しない場合がある。事象の内容や影響額等が注記されていても、その特例が適用されたことまで伝わっていなければ、どうだろう。
「修正すべきものを修正していない。虚偽表示ではないか」。
しかし、当該事象について財務諸表を修正しないこと自体は、日本基準に従った取扱いである。それにもかかわらず、企業がそのような疑念を向けられることはないだろうか。私は、その可能性を懸念している。特例に従った企業が、その事情を理解されずに疑念を向けられるとしたら、企業にとっても看過できない。
だからこそ、重要な対象事象について、既存の後発事象注記だけでは特例の適用とそれに基づく会計上の取扱いが十分に伝わらない場合には、企業が自ら説明を補う「任意追加注記」を検討すべきだと考えた。
本日、2026年11月4日発売の『企業会計』2026年12月号(中央経済社)に、「修正後発事象の特例と任意追加注記の意義――『財務諸表の公表の承認日』は何を意味するのか」を寄稿した。
今回は、特例そのものの是非を改めて論じたのではない。最終化された制度を前提に、IAS第10号との比較や制度形成過程の検証を通じて問題の所在を明らかにするとともに、任意追加注記の具体的な方法を考察した。詳細は誌面に譲りたい。
任意追加注記によって、財務諸表を修正する選択肢が戻るわけではない。しかし、修正を選べなかった企業が、必要な修正を怠ったかのように受け取られる事態は、避けたい。
その懸念が、今回の寄稿の出発点にある。








