「そうでっか~」
「なんでやねん!」
「ちゃいまんがな~」
関西の親しい人に、たまに関西弁で話すことがあります。ボクの出身地は、石川県の金沢。文化圏としては関東よりは関西のほう。テレビで吉本新喜劇を見て育ってきました。
子どもの頃、土曜日の学校は、午前中でおしまい。家に帰ってテレビをつけると放送していたのが、吉本新喜劇でした。面白いので見入っちゃったものです。
吉本のテレビ番組を通じて関西の文化に定期的・継続的に触れていたので、関西弁には懐かしさがあります。なので、ボクの心のふるさとは大阪。
そんな想いを込めて関西弁を使ってみるのですが、これ、関西の人からひどく評判が悪い。
ボクが所属する組織の大阪事務所に、年代が近い3人がいます。ボクが関西弁を使うたびに、彼らから「そんなん、言いませんー」、「ぜんぜん関西弁とちゃいますよ~」とイラつかれるのです。
そのたびに、「おかしいな~。関西弁のシャワーを定期的に浴びてきたから、ネイティブに近いはずなのに・・・」と関西弁のレベルに落ち込んでいました。
そんなやりとりを何回か繰り返していたとき(ハイ、めげずに関西弁で話しかけていました)、あるとき、ハッと気がついたのです。これ、「デープ・スペクター現象」だと。もちろん、ボクの造語。
デーブ・スペクターさんは、テレビプロデューサーなどをしているアメリカ人。日本のバラエティ番組に出ずっぱりの人気者。そんな彼がテレビに出始めた頃から、「この人はすごい」と思ったものです。
なぜなら、母国語ではない日本語で、ダジャレを放っていたからです。その面白さは別として、そんな芸当はなかなかできません。あなた、英語のジョークでアメリカ人を笑わせられますか。できない人も多いハズ。
しかし、そんな芸当をしていながらも、周りの出演者はデーブ・スペクターさんにダジャレが面白くないと突っ込みます。本来ならすごいと称賛すべきところ、面白くないとダメ出しするのです。そんな扱いが長年、不思議でした。
あるとき、その原因が彼の日本語力のレベルの高さにあると気づきました。あまりにも日本語が流暢なため、周りは彼を日本人として見てしまっているのです。埼玉県出身という疑惑もあるほどですから。
つまり、日本人がダジャレを言っている前提で、デーブ・スペクターさんのダジャレを評価しているのです。このように、あちら側の人がこちら側の人として取り扱われる状況を「デープ・スペクター現象」と名付けました。
ボクが考えるに、関西弁のシャワーを大量に浴び続けてきたがゆえに、ボクの関西弁のレベルはネイティブ並みになっているのでしょう。だからこそ、関西弁を話さない人の関西弁ではなく、関西弁を話す人の関西弁として見てしまっているために、あんなにダメ出しされるのです。そうでなきゃ、辻褄が合わない。
このことは、ビジネスの世界でも起こっています。
こちら側の人と勝手に考えているからこそ、「なんで、こんなことが通じないんだ」と腹が立つのです。同じレベルだと疑いもなく見てしまうと、そうではないことについて「足りていない」と感じます。それが不要な争いの元にもなりかねない。これが、デープ・スペクター現象。
それに対して、最初から、あちら側の人と考えていれば、「そりゃあ、わからないのは当然だよね」と寛大になれます。わかり合えないことを前提に話を進めるため、わかり合えると喜びを感じます。
もし、あなたのビジネスで噛み合わないと感じることがあるときには、一度、デープ・スペクター現象に陥っていないかどうか、確かめてはいかがでしょうか。
そうそう、大阪事務所の先輩に、ボクの関西弁にキツくあたられる話を聞いてもらったことがあります。デーブ・スペクター現象を持ち出しながら、ネイティブ並みの関西弁であるがゆえに、関西弁を話す人の関西弁として見られていると力説しました。
その話を聞き終わった先輩から一言、「竹村さんの、そのポジティブなところが好きだ」と笑われてしまいました。結構、ええ線、行っとったと思うのやけど。まだまだ、修行が足りまへんな。
P.S.
ビジネスモデル仲間との懇親会で、たまたま一緒のテーブルにいた二人から、この本を猛烈にプッシュされました。演劇の要素を取り入れることで、相手や他の誰かになりきる方法でも、わかりあえるきっかけになりますね。
・平田オリザ『わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か』(講談社)