相手を変えることはできないが、自分を変えることはできる。相手のことを操作しようとすることには限界があるため、自分の振舞いを変えたほうが早い。そんなことを最近、よく思います。これに関して、象徴的な出来事が2つありました。
1つの出来事は、今日の帰りの電車でのこと。朝のラッシュほどではないにせよ、それなりに満員でした。立っている人も触れるほどにギュウギュウ詰めの状態。ボクは吊り輪に立っていました。
乗り降りの多い駅に着いたときのこと。ボクの背のほうで扉が開きます。降り出す人が落ち着いたと感じたときに、どっと乗ってくる人の感触がない。ボクは電車でイヤホンをしない派で、また、スマホもいじっていなかったため、状況の把握はできているつもり。
そのときに、急に乗ってくる気配を感じました。電車の中に人が入ってくるなあと思っていた瞬間、背中をカバンのようなもので突かれたのです。ちょうど決算期間中で期末監査の時期のため、背中を痛めていたことから、「お゛っ」と辛さが声になる。
誰がそこまで急に乗り込んできて、しかも、人をヒトとも見ずに荷物を平気で当ててくるのかと後ろをみると、うだつの上がらないオジサンと目が会います。すると、ブツブツを文句のような言葉をつぶやきながら、平然とボクの横でつり革にぶら下げるかのようにして立っているのです。
これは、ひたすら相手が悪いと一方的に思い込んでいるケース。第三者的に見れば、そのオジサンが電車にいる人をモノではなくヒトだと暑かった振舞いをするなら、他人に痛みを与えることはなかった。
しかし、自分の殻に閉じこもって、また、自分が正しいと思い込んだ結果、ブツブツつぶやかなければならない状態に自らを追いやっているのです。いろいろと残念なこと、極まりない。
で、もう1つの出来事は、先日のボク自身のこと。以前ならキツく当たることもあった人に対して、優しく接するようにしました。これは、自分の振舞いを変えると相手は変わるのかどうかを自ら実験をしています。
ある状況において、その人と同席したときのこと。自分自身、感情をぶつけるような話し方はせず、淡々と「自分はこう思う」と話しました。すると面白いもので、その人の出方も穏やかになるのです。最終的には、ボクの意見を受け入れて、その方向で考えてみるという言葉まで出ました。
このように、今日の電車でのうだつが上がらないオジサンとは違い、自分自身の接し方を優しくすると、相手も同じように優しく返してくれます。これは何も、精神的なことを話しているのではなく、当たり前のこと。
優しく接してくる人に対しては、誰もが優しい態度で接します。これに対して、嫌な感じを振りまく人に対しては、誰もがその人を相手にしません。つまり、自分の振舞いが自分自身に返ってきているのです。ごく自然なこと。
もちろん、優しく接しても、ぞんざいな態度で返す人はいます。また、嫌な感じを振りまいていても、優しく接し続けてくれる人もいます。しかし、そういう人は稀。いたなら奇跡というレベルのため、その存在を当てにすることは宝くじを期待するようなもの。そんな確率に賭けるのは、勝ち目のないギャンブルそのもの。
したがって、ボクの結論は、相手を変えることは難しいため、自分の振舞いを変えるほうが早い、ってこと。相手が変わってくれるのを待っていては、100万年かかってしまいかねない。自分がコントロールできないことに変化を求めることは、ムダ。
もし、職場などで嫌な人がいるなら、少しの間、実験をしてみませんか。相手の態度が変わるのを待つのではなく、自分の接し方を変えてみる。変えるといっても特別なことをするのではなく、その人以外にしているような普段の振舞いをそのまま行うだけ。
相手の態度が変わらなくても、今より悪くなることはない。むしろ、自分の振舞いを変えることで相手の態度が和らぐなら儲けもの。あなたにとって、リスクは何もありません。まずは、挨拶から普通にしてみませんか。「おはようございまーす」と笑顔でね。少なくともボクには効果がありましたから。