大金といえる金額を設定してください、と言われたら、いくらにしますか。誰が聞いても、「それは大金だよね~」と納得してもらえる金額の水準。低すぎると「それで、大金なの?」と怪訝な顔をされ、また、高すぎると「それは、やりすぎでしょ」と呆れられる。
大金と聞いて思い出すのは、馬場康夫監督の映画『彼女が水着にきがえたら』。いわゆる、ホイチョイ 映画。ボクが2番目に好きなもの。ちなみに、1番は同じく馬場康夫監督の映画『波の数だけ抱きしめて』。それはさておき。
この『彼女が水着にきがえたら』とは、三戸浜沖に沈んでいると言われる宝を探す男性と、たまたまスキューバダイビングでその宝を乗せた飛行機を海底で見つけた女性とが、スリリングな宝探しを繰り広げていく物語。
この映画の製作時に、いくらの宝に設定するかを検討していたようです。で、設定されたのが、50億円。この映画のDVDの副音声によると、バブル経済のピークのときだったため、そういう水準になったそうです。バブルでなければ、1億円だったかもしれないとのこと。
この映画の予告では、実は100億円の宝を探す話になっています。でも、映画の本編では、50億円という設定のため、整合していません。これについて馬場康夫監督は、「庶民にとっちゃ、10億を超えたら全部同じです」という名言を残したとのこと。確かに、10億円だろうが、50億円だろうが、大金であることに変わりはない。
この映画の公開は、1989年6月のこと。ちょうど、30年前のこと。では、あれから30年が経過した2019年の現在、いくらが大金なんでしょうか。
ここで参考となるのが、有価証券報告書。ここには、役員の報酬を開示する箇所があります。ある金額を超えて報酬をもらっている役員がいると、その人の報酬額を個別に開示しなければなりません。
その金額は、1億円。なんと、30年前から、大金と考える水準が変わっていない。馬場康夫監督の名言に基づくなら、むしろ低くなっている。30年も経ったのにもですよ。なかなか面白い現象です。
有価証券報告書は、大きく2つの要素から構成されています。前半は、経営全般的な説明を記述していく部分。また、後半は、決算書つまり財務数値で説明する部分。
で、役員報酬の開示は、前半の終わりのほうに位置しています。これ、ちゃんとストーリーになっているって、気づいていましたか?
金融審議会のディスクロージャーワーキンググループの議事録を読むと、興味深い話が紹介されています。それは、イギリスでの話。イギリスでは、この記述情報が充実しています。
というのも、どんなビジネスをしており、そこにどんなリスクがあり、一年経営してきた結果、どういう決算書になったのかについて、経営者が説明していく。つまり、自分はこんなに経営してきたんだと株主に主張していくストーリーになっているのです。
そうした話をした最後に、だから報酬をこれだけもらったんだと、報酬額を開示する。納得するなら役員を継続し、また、納得しなければ役員を辞めさせられる。そんな位置付けになっているのです。役員報酬を開示する箇所には、そんな意味がある。
ところが、日本企業では、そんなストーリーで説明しているケースは少ない。それぞれの記述情報をぶつ切りにして説明しているだけ。そこには経営者の視点が入っていない。
だから、有価証券報告書は、その利用者にとって利用価値が少なくなっていると指摘されています。ということは、経営者は、読み応えのない資料を生産していることになる。そんなことにコストを費やしているなんて、もったいなくないですか。
ちょうど、2020年3月期の有価証券報告書から、前半の部分の記述情報を充実させることが求められています。そのための改正が行われ、また、参考になる事例も紹介されています。この事例、使わない手はありません。
その開示まで、11ヶ月あります。しかし、社内調整を行い、文案を作り、最終了承を得ることを考えると、あまり時間的な余裕がない。今のうちから、生産性の高い開示に向けて動き出しませんか。映画のようなストーリー展開で株主を巻き込みましょうよ。