矢沢永吉サンが、ここ最近、テレビで音楽番組やバラエティ番組に出演しています。新しいアルバムの告知のため、現在の御年が69歳。2019年9月の誕生日で70歳になるとは思えないほどに、パワフル。
そんな矢沢永吉サンの一般的なイメージは、パワフルだったり、タフだったり、クールだったりと、ロックそのものの印象が強いのではないでしょうか。
確かに、日本のロック・アーティストのカリスマとして自らブランディングしている面もあります。2019年8月31日に放映された日本テレビ系の「嵐にしやがれ」にゲスト出演したときに、「矢沢永吉 張ってると疲れる」とおっしゃっていましたしね。
しかし、ボクは矢沢永吉サンに対して別のイメージも抱いています。それは、切なさや色気、女々しさという側面。これには明確な理由があります。ボクの矢沢永吉サンへの入りが、作詞家の売野雅勇サンだから。
売野雅勇サンは、ボクの大好きな作詞家のおひとり。チェッカーズや近藤真彦サン、中森明菜サンなど、ボクの好きなアーティストに対して歌詞を提供してきたためか、詞の世界観がたまらなく好き。
あるとき、売野雅勇サンが、矢沢永吉サンの歌詞を手掛けます。1989年に発売されたアルバム「情事」全10曲中のうち9曲がそれ。代表曲は、シングルカットされた「SOMEBODY’S NIGHT」。もともと、売野雅勇サンから作詞をしたいと持ちかけたことで実現した作詞とのこと。
このアルバムの歌詞を見たときに、矢沢永吉サンをなんてセクシーに演出するんだと、まだ10代のボクは感じたものです。あの強さのイメージをこんなに華麗に崩すなんて、驚きましたよ。こうして、売野雅勇サンが描く矢沢永吉サンの世界観に惹かれたのです。
この話、単にボクの思い出を語ったものではありません。ビジネスやキャリアで極めて大事な姿勢を学ぶことができます。それは、世界的なマーケッターであるダン・ケネディの教えにも通じるもの。
矢沢永吉サンから学ぶ姿勢とは、柔軟さ。たった一つに固執するのではなく、別のものを受け入れる勇気が必要なのです。
もし、矢沢永吉サンが、いわゆるタフなイメージだけを押し通していたなら、また、売野雅勇サンの作詞の世界観を受け入れなかったなら、ボクというファンは生まれなかったでしょう。しかも、発売後、30年後にこうしてブログで紹介するくらいのファンを。
ダン・ケネディは、ビジネスに最悪な数字は「1」だと言いました。たった1つの何かに賭けるのは危険だと教えています。これは、何でもかんでも手掛ける意味ではありません。大事にしている世界観やポリシーに反しないのであれば、顧客に届くためには複数の取り組みを行うのです。
で、矢沢永吉サンの柔軟さによって、タフなイメージとは違う世界観を受け入れるだけではなく、その世界観をきっちりと甘い歌声で表現しきった。その結果、ご自身のブランディングにも幅が広がり、また、ボクを含めたファンも拡大した。これはアーティストだけではなく、ビジネスとしても大成功。
何かピンと来たときに、右手の指をパチンと鳴らしながら「いいね、それ。やろうよ」と受け入れ、かつ、実行に移していく。それを繰り返していくなら、活動の幅は自ずと広がっていきます。縮まるなんてあり得ない。
もちろん、そのためには決断と決行が不可欠。これらを行うには、タフであることが必要です。なるほど、矢沢永吉サンのロックで築いたタフさが、その後の柔軟さの基盤にあったのですね。
そうそう、シングル曲「SOMEBODY’S NIGHT」では、情事の中で、自分と違う自分を演じている女性が歌われていました。あなたは、ビジネスやキャリアの中で、自分と違う自分を演じても構わないのです。右手の指をパチンと鳴らして、「それ、やろう」と。