ネーミングは大事。ビジネスで提供する商品やサービスの名前が何かによって、その後の展開も大きく変わってきます。
例えば、Amazon。この会社が、ナントカBookという社名やサービス名だと、今のように家電や生鮮食品を扱うことはなかったでしょう。何年、何十年経っても、本しか取り扱えなかったハズ。
ビジネスで取り扱うものが制限されることは、収益が制限されることを意味します。何かひとつの分野だけを象徴するサービス名だと、取り巻く経営環境が激変したときに対応できなくなります。だから、Amazonというネーミングは大正解。
そんなネーミングで、ボクの人生で一番驚いたことは、ペットの名前。ボクの後輩の女性が、小学生の頃に、ペットとして猫を飼ったことがありました。
その猫を何と呼ぶかについて家族で検討したところ、後輩の彼女に名前をつける権利が与えられたそうです。いわゆる、ネーミング・ライツ。
こーゆーとき、あなたなら、何と名付けますか。猫の名前ランキングだと、ソラ、モモ、レオ、ココ、マルといったところが多いそーで。今や、タマなんて名前は付けられていないようです。
で、ボクの後輩が、ペットの猫に付けた名前が凄いんです。最初、聞いたときには、冗談かと思いましたよ。それほどに、嘘だと思うようなネーミング。
その名も、「ドッグ」。そう、犬を英語でいうDogを、なんと、猫に名付けたのです。
なんでドッグと名付けたの、と聞いたら、彼女はあっけらかんと、こう応えたのです。「なんとなく。カッコよかったから」と。
まあ、小学生なので仕方がないところもあります。でも、ボクが着目したいのは、親御さんがドッグと名付けることを許したこと。猫にドッグと名付ける娘の行動を、何ら批判することなく、受け入れたのです。
これ、凄いことじゃありませんか。大人になると、つい、「猫なのに、ドッグはないだろ」と正しさや常識を優先しがち。教科書的な間違いを許容できない。
しかし、彼女の親御さんは、それを拒むことはなかった。娘の主張を否定することなく、手前で「受け止める」どころか、心の中まで「受け入れた」のです。この姿勢は、凄いとしかいえません。おそらく、娘のイマジネーションを信じたのでしょう。
これは、自己肯定感という観点からは、とても素晴らしい教育方法。目の前の猫を見て、ドッグという響きを感じたのにもかかわらず、それを否定されると、自分の感覚を信じられなくなります。特に、子どもの頃だと、なおさらの話。
後輩の彼女は、そこを否定されなかったため、すくすくと育ちました。今では、独立して税理士業務を行っています。母親としての立場と両立させながら。あのときに「ドッグ」が受け入れられなかったなら、違った人生だったかもしれません。
それほどに、ネーミングは大事なんです。付けられるほうもそうだし、後輩の彼女のように付けるほうも大きな意味を持っています。だから、企業で商品やサービスのネーミングを考えるときも、メンバーを否定しないことが重要です。
したがって、ネーミングの場では、参加者が主体的に参加している感覚を持てるようなファシリテーションが不可欠。また、ネーミングのための方法論に沿った運用も必要です。
そんなネーミングのファシリテーションを以前、行ったことがあります。そのときに参加したメンバーから、「今度、うちのプロジェクトのネーミングで、ファシリテーションをしてくれませんか」と依頼がありました。もちろん、即決でOK。
というわけで、来年のどこかで、ネーミングのファシリテーションを行っているかもしれません。そのときには、また、こちらでお話ししますね。