2025年12月、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)は、BEES(生物多様性・生態系・生態系サービス)プロジェクトを調査段階から基準設定段階へ移行させることを決定しました。
この判断は、単なる手続上の進展にはとどまりません。論点探索の場をディスカッション・ペーパーから公開草案へと前倒ししたことで、議論の重心が「問題の所在」から「要求事項の設計」へと移行したのです。企業が直面しているのは、もはや理念の議論ではなく、具体的な制度設計とその実装可能性をめぐる攻防です。
■ディスカッション・ペーパー省略が意味する制度的転換
IFRS財団のデュー・プロセス・ハンドブックは、原則としてディスカッション・ペーパーの公表を経てから公開草案へ進むことを想定しています。ディスカッション・ペーパーの役割は、問題の所在と潜在的解決策を広く提示するとともに、寄せられた意見を再審議することで研究作業を完了させることにあります。その後、基準設定に進むか否かを判断し、進む場合に初めて公開草案を公表するのが通常の流れです。
もっとも、同ハンドブックは例外を認めています。問題と解決策について十分な情報が既に得られている場合には、ディスカッション・ペーパーを経ずに公開草案へ進むことが可能とされています。2025年12月会合では、この例外が適用されました。公式には「研究段階を完了し得るだけの材料が蓄積された」との判断に基づくものです。したがって、形式的には、今回のディスカッション・ペーパーの省略はデュー・プロセスに沿った適法な手続選択であり、また、成熟度判断の帰結と整理することができます。
一方で、この判断がなされた制度環境を無視することもできません。自然関連開示をめぐっては、すでにTNFDの最終提言が公表され、EUではCSRDおよびESRSが施行段階に入り、生物多様性に関する具体的な開示基準(E4)が制度化されています。すなわち、自然およびサステナビリティ開示は、もはや研究テーマではなく、各法域で制度設計が進行している領域なのです。
ISSBがグローバル・ベースラインを標榜する以上、この動向と無関係であるとは考えにくいでしょう。公式文書に制度競争への言及はないものの、TNFDやEU基準がすでに市場実装段階にある状況下で、長期のプロセスを経るディスカッション・ペーパーの選択は、国際的整合性や即応性の観点から再考を迫られるものであった可能性は否定できません。ディスカッション・ペーパーの省略は、少なくとも結果として、ISSBが基準設計主体として前面に立つ意思を示すタイミングと重なっています。
重要なのは、ディスカッション・ペーパーを経なかったという事実そのものよりも、その帰結です。公開草案が初の包括的パッケージとして提示される以上、コメント期間は単なる意見募集ではなく、事実上の制度設計レビューの場となります。問題の所在を議論する段階はすでに通過し、提示された要求事項が実務的に機能するか、原則との整合性を維持できるかが問われる局面へと移行したのです。
企業にとっての意味は明確です。もはや「自然基準は必要か」という抽象論を展開する余地は限定的であり、焦点は「提示された設計をいかに実装可能なものへと修正・精緻化できるか」に移っています。ディスカッション・ペーパーの省略は、研究フェーズの短縮という手続的変更にとどまらず、議論の重心を設計論へと前倒ししたという点で、制度的転換と位置づけることができます。







