採用されないコメントにも、意味はある。
SSBJは、2026年6月、サステナビリティ開示実務対応基準第1号「温対法におけるSHK制度の定める方法により測定し報告する温室効果ガス排出を用いて『気候基準』の定めに従う場合の開示」を最終化しました。
この基準は、日本企業の開示実務にとって大きな意味を持ちます。温対法に基づくSHK制度により、企業はすでに温室効果ガス排出量を測定し、かつ報告しています。その情報をSSBJの気候関連開示に利用できるのであれば、重複作業を抑えられるため、制度対応の負担を軽減できます。国内実務への配慮として、この方向性には十分な合理性があります。
しかし、問題はそこで終わりません。
実務対応基準第1号は、SSBJ基準上の取扱いを明確にしました。一方で、ISSB基準への同時準拠を目指す場合に残る論点までは解消していません。むしろ、SSBJ基準上は認められるとしても、それをISSB基準上どのように説明するのかという問題を、企業側に残したといえます。
この点について、私は公開草案にコメントを提出しました。コメント本文は別添のとおりです。
今回のコメントは、最終的な結論を変えることだけを目的としたものではありませんでした。SSBJは、すでに気候基準の結論の背景において、SHK制度は第49項ただし書きに該当すると位置づけていました。そのため、その前提が大きく撤回される可能性は高くないと見ていました。
それでもコメントを提出したのは、SSBJがどのような解釈に立つのかを、公式記録に残す必要があると考えたからです。
問うべきことは、単に「国内基準としてこの方法を使えるか」ではありません。ISSB基準への同時準拠を主張する場合に、この方法を説明できるのか。実務対応基準第1号が残した本質的な問題は、ここにあります。
国内実務への配慮は、何を解決したのか
気候基準は、温室効果ガス排出について、原則としてGHGプロトコルに従って測定することを求めています。一方で、法域の当局又は企業が上場する取引所が、温室効果ガス排出を測定するうえで異なる方法を用いることを要求している場合には、企業のその部分について当該方法を用いることができるとしています。これは、IFRS S2第29項(a)(ii)に対応する取扱いです。
日本には、温対法に基づくSHK制度があります。企業はこの制度に従い、一定の温室効果ガス排出量を算定し、かつ報告しています。そのため、気候基準を適用するにあたり、SHK制度で得られた情報をどこまで利用できるのかは、実務上きわめて重要な論点でした。
SSBJが実務対応基準という形でこの論点に対応したこと自体は、評価されるべきです。既存の法定報告制度を活用できるかどうかは、企業の作業設計に直接影響します。制度対応の重複を減らすことは、作成者にとって切実な課題です。
ただし、実務負担を軽減することと、IFRS S2第29項(a)(ii)の例外要件を満たすことは同じではありません。この区別を曖昧にすると、SSBJ基準上の実務対応と、ISSB基準への同時準拠の説明が混同されます。
実務対応基準第1号が解いたのは、国内基準としての実務上の取扱いです。残されたのは、その取扱いをISSB基準との関係でどこまで説明できるのかという問題です。
コメントは、結論を変えるためだけにあるのではない
基準へのコメントは、一般には、基準本文や結論の変更を求めるために提出されるものと理解されがちです。もちろん、それは重要な目的です。しかし、コメントの役割はそれだけではありません。
基準設定主体に解釈根拠を明示させること。不採用であっても、将来の開示、保証、投資家対応で参照できる公式記録を残すこと。後続の実務で問題となる論点を、あらかじめ制度上の議論として浮かび上がらせること。これらも、コメントの重要な機能です。
今回のコメントは、まさにこの性質を持っていました。
争点は、ロケーション基準によるスコープ2排出量を、SHK制度上の報告義務ではないにもかかわらず、第49項ただし書きの例外に含めることができるのかにありました。そこでコメントでは、結論を変えることだけでなく、SSBJがその取扱いをどのような根拠で説明するのかを明示させることを狙いました。
採用されるかどうかだけでコメントの価値を測るなら、このような戦略は見えにくくなります。しかし、基準開発におけるコメントは、時に、結論を変えるためではなく、後に残る論点を公式記録に刻むためにも使われます。今回のコメントの意図は、そこにありました。
ロケーション基準は、本当にSHK制度の中にあるのか
公開草案に対する私のコメントの中心は、ロケーション基準によるスコープ2排出量の位置づけにありました。
ただし、それは公開草案を読んで初めて抱いた疑問ではありません。公開草案に至るSSBJの審議過程では、SHK制度に基づく報告を「気候基準」第49項ただし書き、すなわちIFRS S2第29項(a)(ii)の例外として扱えるかどうかが論点となっていました。審議過程を追っていれば、ロケーション基準によるスコープ2排出量がIFRS S2第29項(a)(ii)の射程に入らない可能性があることは見えていました。
それにもかかわらず、公開草案の結論の背景では、その点が十分には説明されていませんでした。
確かに、公開草案は、温対法におけるSHK制度では、マーケット基準によるスコープ2排出に相当する報告は要求されているものの、ロケーション基準によるスコープ2排出に相当する報告は要求されていないことを明示していました。そのうえで、SHK制度に基づく活動量と、環境大臣及び経済産業大臣が公表する平均的な排出係数を用いれば、ロケーション基準による排出量を算定できるため、その測定値もSHK制度の枠内に含まれると整理していました。
しかし、ロケーション基準によるスコープ2排出量は、SHK制度において報告が義務づけられている測定値ではありません。SHK制度に基づき収集された情報を用いて、SSBJ基準上の開示目的のために追加的に算定される測定値です。
ここで重要なのは、ロケーション基準による排出量を計算できるかどうかではありません。計算はできます。問題は、その計算値が、法域により要求される測定方法としてIFRS S2第29項(a)(ii)の射程に入るかどうかです。







