ENEOSで報告されていた、気候関連要因を会計上の見積りと結び付けたKAMが、2026年3月期の監査報告書には報告されませんでした。
2025年3月期のENEOSホールディングス株式会社の連結財務諸表に対するEY新日本有限責任監査法人の監査報告書には、「脱炭素社会への移行の影響を踏まえた、東燃ゼネラル石油株式会社との経営統合に伴うのれんの評価」というKAMが報告されました。
対象となったのれんの減損テストでは、石油製品市況や中長期成長率などを主要な仮定としていました。それらの仮定は、カーボンニュートラルに向けた動きを踏まえて採用された気候変動シナリオの影響を受けることが説明されていました。
監査上の対応も詳細に記載されていました。監査人は、石油製品の販売数量を経済産業省の需要見通しやIEAの各シナリオと比較しています。また、中長期成長率を検討するために気候変動の専門家を関与させていました。さらに、長期的な需要減への対応計画、その計画を使用価値の算定へ反映する方法、カーボンプライシングによるコスト負担について、経営者と議論していました。
このように、気候関連要因が会計上の見積りにどのような影響を及ぼすのか、また、その影響を監査人がどのように検証したのかを読み取ることのできるKAMでした。
では、なぜこのKAMは、2026年3月期には報告されなかったのでしょうか。
その理由は、対象となったのれんが2025年3月期に全額減損されたため、2026年3月期には、当該のれんの減損テストが再びKAMとなる前提がなかったからです。
したがって、KAMが報告されなくなったことだけを見て、ENEOSの気候対応や、監査における気候関連事項の考慮が後退したと評価することは適当ではありません。実際、有価証券報告書全体を見ると、ENEOSでは、気候関連シナリオの経営上の位置付けが具体化され、そのシナリオに基づく財務影響の試算も更新されています。
一方、連結財務諸表では、経営戦略上のシナリオが示す影響を、資産及び負債の測定へ直ちに反映するとは限らないことも説明されています。経営戦略上のシナリオと財務諸表上の測定とでは、目的や対象期間が異なり得るため、両者が一致しないこと自体が本稿の論点ではありません。
問われるのは、第一に、経営上のシナリオ及び定量化された財務的影響と、会計上の見積りで採用された仮定との関係や相違が、どのように整理されているのか。第二に、監査人は、その関係や相違をどのように把握し、そのうえで会計上の仮定の合理性をどのように検証したのか。この二点です。
本稿では、ENEOSの2025年3月期と2026年3月期の有価証券報告書を比較することにより、経営戦略、会計上の見積り及び監査上の検証の対応関係をたどります。
KAMは消えたが、気候対応は後退していない
2026年3月期の有価証券報告書では、気候関連事項の経営上の位置付けが具体的に説明されています。
ENEOSは、2025年5月に「カーボンニュートラル基本計画2025年度版」を策定しました。その策定に当たっては、IEAのWorld Energy OutlookにおけるSTEPS、APS及びNZEのほか、IPCC第6次評価報告書を参照資料として用いながら、複数の社会シナリオを設定しています。さらに、各シナリオの下で想定される将来のエネルギー需要や事業環境を分析したうえで、二酸化炭素排出削減に関する目標や戦略を見直しました。(2026年3月期の有価証券報告書21頁)
この基本計画は、単なる環境方針として策定されたものではありません。カーボンニュートラル推進委員会では、排出削減経路に影響を与える不確実性の高い要因を特定したうえで、その要因を反映した複数の社会シナリオや、時期に応じた内部炭素価格について議論しています。取締役会も、同計画を経営の基本方針の一つとして審議・決定しています。(2026年3月期の有価証券報告書25頁)
このように、気候関連事項は、個別の環境施策にとどまらず、将来の事業環境を検討するための経営上の前提へ組み込まれています。
他方で、監査報告書においても、気候関連事項が姿を消したわけではありません。
2026年3月期には、「繰延税金資産の評価」が引き続きKAMとして報告されています。繰延税金資産の回収可能性は、将来の課税所得を基礎として判断されます。その将来の課税所得は、将来事業計画に基づいて見積もられます。そして、その事業計画には、カーボンニュートラルに向けた動きに起因する市況変動の影響などの不確実性が含まれています。
2025年3月期に報告されたのれんのKAMはなくなりましたが、気候関連事項そのものが監査上の検討対象から外れたわけではありません。2026年3月期には、繰延税金資産の評価に関するKAMの中で引き続き検討されています。
気候関連の財務影響はどのように更新されたか
ENEOSは、2025年3月期の段階から、気候関連リスクの財務影響を具体的な金額で示していました。
2025年3月期の有価証券報告書では、カーボンニュートラル達成に要するコストについて、2030年に年間450億円、2040年に年間1,100億円と試算していました。これは、各年の目標削減量に、一律50ドル/tCO₂の内部炭素価格を掛けて算定した金額です。また、エネルギートランジションの進展や環境意識の高まりによる国内石油需要の減少について、2030年に年間約200億円、2040年に年間約800億円の営業利益減少を見込んでいました。(2025年3月期の有価証券報告書26頁)
2026年3月期の有価証券報告書では、2030年の目標削減量600万トン、2040年の目標削減量1,500万トンに「時期に応じた内部炭素価格」を掛け、2030年に年間約270億円、2040年に年間約2,600億円と試算しています。石油需要減少による営業利益への影響については、引き続き2030年に年間約200億円、2040年に年間約800億円の減少が示されています。(2026年3月期の有価証券報告書22頁)
したがって、2026年3月期の変化は、財務的影響が初めて金額で示されたことではありません。定量的なシナリオ分析の見直しに伴い、カーボンニュートラル達成コストの算定に用いる内部炭素価格が、一律価格から時期に応じた価格へ変更されたことにあります。
もっとも、有価証券報告書からは、各時期の内部炭素価格の具体的な水準や、算定方法を変更した理由までは確認できません。また、算定方法が複雑になったことだけをもって、試算が精緻化した、あるいは信頼性が高まったと評価することもできません。ここで確認できるのは、基本計画の見直しに応じて、財務的影響の算定方法も見直されているということです。
では、こうして更新された経営上のシナリオと金額は、財務諸表上の測定とどのような関係にあるのでしょうか。







