「自由」という言葉を聞いて思い出すものとは。ボクは何と言っても、RCサクセションの楽曲。8枚目のオリジナルアルバム「FEEL SO BAD」の一曲目に収録されているのが、『自由』という歌。
もう、イントロのギターがシビレます。アルバムの一曲目にふさわしい、勢いのある歌。いかにもライブで盛り上がるのが目に浮かびます。実際、高校のときに行った野外フェス「POP HILL」で、最後に出てきたのがRCサクセション。
そうそう、この野外フェスは、今思えば、出演者が凄い。米米CLUB、爆風スランプ、BARBEE BOYS、アン・ルイス、RCサクセションなどが出てきた丸一日の音楽フェス。あのときの光景は今でも思い出せます。
そんなフェスでも、RCサクセションが出てきたときの存在感は圧倒的。まさに、キングの称号がふさわしい空気のなかで登場します。セットリストは覚えていませんが、時期的に間違いなく、この「自由」を歌っているハズ。その歌のサビでは、次のように歌います。
だって俺は自由、自由、自由
短いこの人生で いちばん大事なもの
それは俺の自由、自由、自由
以前、このブログの「『勝間式超コントロール思考』から学ぶ」でお話ししたとおり、大事なのは、いかに自分のコントロール権を確保するか。つまりは、自由を得るということ。人は、この自由が確保されない状況において悩みやストレスを感じるのです。
そんな考え方を高校生の頃から、RCサクセションの忌野清志郎サンから教わっているため、ボクもコントロールを奪われるのが好きではない。これは何も、組織や人に協力しないという意味ではありません。もともと、フェアを旨としているため、筋が通ることであれば、全面的に協力します。
しかし、筋が通らないことには納得がいかない。なぜ、本来やるべき人が何もせず、何も言われず、かつ、責められずにのほほんとしながら、その分の報酬を得ている一方で、たまたまそれを遂行できる能力があるからといって、責任も報酬もない中で、必要以上のことを求められるのか。
もちろん、ただ協力しないという意味ではありません。そこは従順な子羊のため、真に求められたのなら喜んでやりますよ。ただ、そうした依頼もない中で、また、本来すべき人物がのほほんとしている中で、なし崩し的に業務を押し付けるような態度が気に入らない。
これが若い頃なら、経験として受け止めることもできます。しかし、もうボクは、アラフィフ。それは、ちょっとできない相談。
以前、ホイチョイ・プロダクションズさんのコラムに、仕事はサラリーマン型と消防士型とに分かれるという話がありました。サラリーマン型とは、ルーティンの業務をしっかりとこなしていく仕事のスタイル。一方、消防士型とは、突然やってくる火消しのように、急遽、助けが求められる仕事に応じるスタイル。
これに照らすなら、ボクが腹が立つのは、ルーティン業務にもかかわらず、あたかも消防士型の仕事のように装って依頼してくるようなもの。「お前のためだ」「組織のためだ」と言いながら、本心は、その人が楽をしたいからにすぎません。人の自由を勝手に奪うようなマネをするなんて、「ふざけるな」って感じ。
どうして、依頼の仕方がわからないのでしょう。一言、「大変なんだ、頼む」とお願いされたら、それはもう喜んで引き受けるのに。消防士の扱いがわかっていません。自由さをもっとうまく手のひらで転がさないと。
結局、そういう人たちは、自身を磨き上げていないのが、嫌なところ。担当する分野で何が起きて、何が語られているかを、何ひとつ学ぶことなく、これまでの乏しい経験で乗り切ろうとする。その結果、人の「自由」を平気で奪っていく。
そんな連中からの依頼はテキトーにあしらって良いし、また、その人が会社の経営者なら今すぐに退職したって構わない。だって、あなたの「自由」、つまりは短いこの人生の命を奪っているのですから。
もし、そんなお悩みをお抱えなら、ぜひ、RCサクセションの『自由』という楽曲を、しかも大きめのボリュームで聴いてください。あなたの背中を強烈に押してくれると思いますよ。俺は自由だ、ってね。