2026年10月、ISSBが開発を進めている自然関連開示のIFRS実務記述書について、公開草案が公表される予定です。
公開草案が公表されれば、企業の開示担当者や投資家の関心は、どのような開示項目が並ぶのか、TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)との関係がどう整理されるのかといった個別の要求事項へと向かうことでしょう。これらが重要な論点であることは間違いありません。しかし、公開草案を要求事項の一覧として読むだけでは、その意義を十分に捉え損ないます。
2026年6月のISSB理事会では、実務記述書という文書形式の確認に加え、TNFDとの関係、「environmental resources」という用語の採用、ロケーション情報の位置付け、指標の利用条件、準拠表明、初年度適用時の取扱いなど、一連の暫定決定が示されました。これらは個別の論点として読むこともできます。しかし、それぞれを独立した項目として眺めている限り、ISSBが自然関連開示について何を設計しようとしているのかは浮かび上がってきません。
今回の理事会で示された暫定決定には、一貫した方向性があります。自然関連情報を新たな環境情報として単に追加するのではなく、自然と企業価値との関係を投資家にどう説明するかという観点から、制度全体を構成しようとしている点です。
この方向性は、形式の選択そのものにも表れています。ISSB副議長のSue Lloyd氏は、実務記述書という形式を採用することにより、IFRS S1およびIFRS S2の導入を妨げることなく自然関連開示を前進させるとともに、将来的な基準化への道も残すことができると説明しています。このことは、実務記述書という形式自体が、制度全体の設計思想と切り離せない要素であることを示しています。
したがって、公開草案で読むべきものは、個々の要求事項にとどまりません。その背後で、ISSBがどのような考え方に基づいて自然関連開示を設計しているのか。この設計思想を理解して初めて、公開草案に盛り込まれる要求事項も、単なるチェックリストではなく一つの論理として把握することができます。本稿は、この視点から2026年6月理事会の暫定決定を読み解くことにより、10月公開草案で確認すべきポイントを整理します。
TNFDを「採用する」のではなく「再構成する」
2026年6月のISSB理事会では、自然関連開示の実務記述書を開発するに当たり、TNFDを重要な参照源とする方針が改めて確認されました。もっとも、これをISSBがTNFDをそのまま採用したものと理解するのは正確ではありません。
ISSBは、企業がTNFDの開示指標を参照することを認める一方で、その利用に条件を課すことを暫定決定しました。具体的には、TNFDの指標がIFRS S1「サステナビリティ関連財務情報の開示に関する全般的要求事項」の目的に資すること、また、IFRSサステナビリティ開示基準および実務記述書と矛盾しないことです。
この二つの条件は、一見すると技術的な適用要件にすぎません。しかしその背後には、ISSBが自然関連開示をどのような制度として構築しようとしているのかという考え方が表れています。
TNFDは、自然関連のリスクと機会を識別し、評価し、管理し、開示するための包括的なフレームワークとして設計されています。これに対して、ISSB基準の目的は、投資家の意思決定に有用なサステナビリティ関連財務情報を提供することにあります。両者は目的を異にします。
したがって、ISSBが目指すのは、TNFDへの準拠を求めることではありません。TNFDが蓄積してきた知見を活用しつつも、その内容をIFRS S1の目的に沿って再構成し、企業価値を説明するための情報として整理し直すことです。いわば、採用ではなく、投資家向け情報としての再構成です。
この理解は、ISSB副議長Sue Lloyd氏の説明とも整合します。同氏は、実務記述書はTNFDを基礎としながらも、IFRS S1およびIFRS S2の上に構築されるものであり、自然関連開示の断片化を抑えつつ、既存基準の導入を妨げないことを目的としている、と述べています。
この視点は、公開草案を読む際にも欠かせません。仮に公開草案にTNFDと共通する要求事項や指標が多く含まれていたとしても、それだけをもってTNFDがそのまま採用されたと結論づけるべきではありません。確認すべきはむしろ、個々の要求事項や指標が、企業価値を説明するというIFRS S1の目的の中で、どのような意味を与えられているかです。
この視点に立てば、公開草案で示される個々の要求事項は、開示項目の単なる追加ではなく、一つの設計思想の下で再構成されたものとして読むことができます。そして、この思想は、次章で取り上げる用語の採用にも一貫して表れています。
「資産」ではなく「資源」――その一語に込められた設計思想
2026年6月のISSB理事会では、自然関連の実務記述書において、「environmental assets」ではなく、「environmental resources」という用語を採用することが全会一致で暫定決定されました。
一見すると、単なる用語の見直しです。しかし、この変更は、自然関連開示をどのような情報として設計するのかという思想を象徴していると考えられます。
「asset(資産)」という語は、会計実務において、企業が支配し、将来の経済的便益をもたらす資産という概念を想起させます。しかし、企業価値に影響を及ぼす自然との関係は、そうした資産概念だけでは到底捉えきれません。企業は、自ら所有する森林や土地だけによって価値を創出しているわけではないからです。水資源への依存、生態系サービスの利用、原材料の調達、生物多様性の維持など、企業価値は、企業が所有していない自然との関係にも大きく左右されます。
そのため、「environmental assets」という表現を用いると、自然を企業が保有する対象として狭く理解させかねません。これに対して、「environmental resources」という用語は、所有関係を前提とせず、企業価値を支える自然との関係をより広く捉えることを可能にします。
もちろん、ISSBが「environmental resources」を採用した理由について、このような解釈を明示しているわけではありません。しかし、同じ理事会で示された他の暫定決定と合わせると、ここの選択は偶然ではないと考えられます。TNFDをそのまま採用するのではなくIFRS S1の目的に沿って再構成する方針、ロケーションを重視する姿勢、指標の利用を企業価値との関係を説明する目的に結び付ける考え方。これらはいずれも、自然そのものを説明するのではなく、自然と企業価値との関係を説明することを中心に据えています。
このように理解すると、「environmental resources」という用語は単なる表現上の工夫にとどまりません。それは、自然関連開示の対象を捉え直す概念です。自然を環境問題として語るのではなく、企業価値との関係を説明する情報として整理するための基礎概念として位置付けられていると読むことができます。
公開草案を読む際にも、この視点は重要になります。要求事項だけを追えば、「新しい用語が導入された」という理解で終わりかねません。しかし、その背後にある設計思想を踏まえれば、企業が説明すべきものは、自然資源そのものではないと分かります。説明すべきは、企業価値がどのような自然との関係によって支えられ、またどのような自然との関係によって影響を受けるのか、という構造なのです。






