過去の記事を読み返すと、その頃の自分が見えてくる。ときには、自分でも気づいていなかった関心まで見えてくる。
先日、ある会計上の取扱いについて考えているうちに、7年前のブログ記事を思い出した。2019年に書いた「数字1桁の表記は、全角派か半角派か」だ。「1億23百万円」の最初の「1」を、全角で書くか、半角で書くか。それだけの話である。
どうでもいい、と思われるかもしれない。ところが実務では、こんな小さなことが意外と議論になる。原稿に半角の「1」を入れる。レビューで全角に直される。理由を尋ねると、「昔からそうしているから」と返ってくる。決算短信でも、有価証券報告書でも、現場は「全角派」と「半角派」に分かれるのだ。
数字の「1」に、なぜそこまで
読み返してみると、当時の私は、等幅フォントとプロポーショナルフォントの違いまで持ち出して、かなり真剣に論じていた。
要点はこうだ。等幅フォントが主流だった時代、日本語の文章に半角の「1」を混ぜると、そこだけ幅が狭くなるため、行の見た目が崩れた。それなら、全角で揃えてしまえばいい。1桁の数字を全角にする作法は、そうした事情から生まれた。当時としては、まっとうな工夫だった。
問題は、その後である。
技術は進み、プロポーショナルフォントが一般的になった。文字幅を整えるために、1桁の数字だけを全角にする必要は、以前ほどない。それでも、全角にする作法は生き残っている。
当時の記事は、その作法が生まれた事情を確かめないまま、「昔からそうしている」という事実だけを、現在もそうすべき理由の代わりに持ち出す実務を疑問視していた。
ある作法が長く続いてきたことと、その作法を今も続ける合理性があることは、同じではない。「昔からそうしている」は、これまでの経緯を述べているにすぎず、今もそうすべき根拠にはならない。それを理由と呼ぶのは、当時の私には、どうにも子どもじみた言い訳に思えた。
だから、その記事は、こう結んでいる。
「それでも、まだ、全角派にこだわりますか?」
我ながら、ずいぶん挑発的である。数字の「1」ひとつに、この熱量。当時の自分に、いったい何がそうさせたのか。
違う話のはずだった
読み終えて、ふと、気づいた。これは、いま取り組んでいる論点と、同じではないか。
私はこのところ、新設された後発事象会計基準や適用指針のもとでの、修正後発事象の特例について考えている。日本の会計実務には、会社法上の計算書類を確定した後に発生した修正後発事象について、財務諸表の数値に反映され得る事象であっても、会計処理をせず、注記によって扱う特例がある。
この取扱いが設けられた背景には、会社法上の決算と金融商品取引法上の決算の数値を一致させるという、制度上の要請があった。確かに、当時の会計環境に照らせば、それは制度を設ける理由になったのだろう。
しかし、制度が生まれた理由と、その制度を今も維持する根拠は別である。
制度は、その時代の現実に応じて生まれる。生まれた当時に合理性があったというだけでは、現在もそのまま存続させる理由にはならない。今でも同じ制度上の要請が存在し、その取扱いを維持する合理性があるのなら、それを現在の環境に即して説明すればよい。それについてまで文句を言うつもりはない。
しかし、現実は変わる。制度が前提としていた環境が失われても、制度だけがそのまま残ることがある。
私が気になるのは、制度が生まれた当時の理由と、その制度を今も維持するために必要な根拠とのあいだに生じるズレである。そのズレを確かめないまま、「これまでそうしてきた」という事実だけで制度を引き継げば、影響の大きな問題を見落とす可能性がある。
文字の幅と、会計基準。話の重さは、まるで違う。それでも、私が問い直す場所はいつも同じだ。
同じ場所で問い直す
あのとき私は、「1」を全角にするか、半角にするかを書いていた。少なくとも、そのつもりだった。けれども、7年前の私が引っ掛かっていたのは、数字の幅ではなかったようだ。
技術や環境が変わっても、制度や作法は残る。それを今も続ける根拠は、なお存在するのか。
私が見ていたのは、そんな問いだった。
あれから7年。私は今度、会計基準の特例を前に、同じ問いを立てている。一度気になれば、そのまま通り過ぎることができない。数字の「1」に向けたのと同じ熱量で、その取扱いを支える根拠を確かめたくなる。
振り返れば、あの頃から、私はいつも同じ場所を問い直している。









