不正リスクを監査報告書でどう語るのか――ISA 240改訂をめぐる論争
シリーズ第01回
2026年8月、日本公認会計士協会(JICPA)から、監査基準報告書(以下「監基報」という。)240「財務諸表監査における不正」の改正案が公表された。
「不正」に関する監査の実務指針が変わる。
そう聞いて、監査実務をしている人なら、まず気になるところはだいたい決まっている。不正による重要な虚偽表示リスクの識別や評価はどう変わるのか。経営者による内部統制の無効化への対応はどうなるのか。職業的懐疑心について、また何か要求事項が増えるのか。つまり、「これから監査人は何をしなければならないのか」だ。
ところが、改正案を読んでいると、少し違う話が出てくる。監査報告書である。
監基報240は、財務諸表監査における不正に関する監査人の責任を定める実務指針である。その指針を改訂する話の中に、不正に関連する事項についてKAMの選定プロセスを適用し、監査報告書で伝えるという仕組みが入っているのである。
ここで、いったん手が止まった。「不正」に関する監査の実務指針なのに、なぜ監査報告書なのだろうと。
もちろん、国際監査基準(ISA)240の改訂を追ってきた人なら、最終化されたISA 240 (Revised)に不正に関連するKAM(fraud-related KAM)が入ったことは知っているだろう。JICPAの改正案も、その国際基準を受けたものである。だから、「ISAがそうなったから日本もそうなる」という説明ならできる。
だが、それでは一番知りたいことが残る。なぜISA 240が、そもそもそこまで行ったのかだ。
不正による重要な虚偽表示リスクをどう識別するか。どう監査手続を組み立てるか。そこまでは不正監査の基準の話として分かる。けれども、監査人がその監査について利用者に何を語るのかとなれば、話は監査報告の世界に入ってくる。不正監査を強くすることと、不正に関連して行った監査を外から見えるようにすることは、同じではない。
この違和感を解こうとして、ISA 240 (Revised)の最終条文から時間を巻き戻してみると、意外に遠くまで戻ることになる。
2024年の公開草案より前。2021年12月にISA 240改訂プロジェクトが正式に始まるよりも前。たどり着くのは、2020年9月に国際監査・保証基準審議会(IAASB)が公表したディスカッション・ペーパー「財務諸表監査における不正及び継続企業」(Fraud and Going Concern in an Audit of Financial Statements。以下「2020年DP」という。)である。
その副題が面白い。「財務諸表監査における監査人の役割についての公衆の認識と、監査人の責任との相違を探る」である。この時点でIAASBが考えていたのは、「不正に関連するKAMを導入しよう」という話ではなかった。もっと手前にある、「監査人はいったい何を期待されているのか」という問題だった。
企業で重大な不正が明らかになると、ほとんど決まって出てくる言葉がある。そう、「監査人は何をしていたのか」だ。
この問いは単純なようで、実は厄介である。監査人の仕事が十分に理解されていないから、そう問われるのかもしれない。いや、監査基準が求める仕事を監査人が十分にしていなかったのかもしれない。あるいは、監査人が現在求められている仕事をきちんとしていたとしても、それだけでは社会の期待に応えられなくなっているのかもしれない。
さらにもう一つある。監査人は実際には何かをしていた。しかし、その「何か」が監査報告書からほとんど見えないとしたらどうだろう。ここまで来ると、なぜISA 240の議論に監査報告書が入ってきたのかが、少し見えてくる。
そして2021年12月、「不正に関連する監査手続について、適切な場合に透明性を高めること」は、ISA 240改訂の正式な目的の一つになった。ただし、この時点では、まだ「KAMでやる」と決まってはいなかった。
日本で監基報240の改正案が出たいま、不正に関連するKAMという完成した仕組みだけを見ると、それが最初から当然の着地点だったように見える。しかし、実際は、そうではなかった。
では、不正監査の議論は、なぜ「監査人は何をするのか」から「監査人は何を語るのか」へ広がったのか。まず、2020年に戻ってみよう。
「監査人は何をしていたのか」――企業破綻と不正をめぐる問題から2020年DPへ
時計を2020年まで戻すと、IAASBの前には、かなり重い材料が並んでいた。
2018年1月、英国の建設・サービス大手Carillionが清算に入った。2017年末には、南アフリカのSteinhoff Internationalで会計上の不正をめぐる問題が表面化していた。その少し前、日本では東芝の会計問題が大きな注目を集めていた。そして2020年、ドイツのWirecardでは、約19億ユーロとされていた現金が存在しない可能性が明らかになる。同じ年、中国のLuckin Coffeeでも売上高の水増しが問題となった。
2020年DPは、これらの名前を「現在の財務環境(THE CURRENT FINANCIAL LANDSCAPE)」の中で挙げている。もっとも、ここは慎重に読まなければならない。Carillion、Steinhoff、東芝、Wirecard、Luckin Coffeeでは、問題の性質も監査人が置かれていた状況も異なる。これらを一列に並べて、「監査人が不正を見逃した五つの事件」と読むのは、2020年DPの読み方として適切ではない。
IAASBがそこから取り出したのは、個々の監査の成否を判定することではなく、もっと制度的な問題だった。注目度の高い企業破綻や不正をめぐる問題が相次ぐ中で、財務諸表監査における不正について、監査人に何が期待され、監査人は実際にはどのような責任を負っているのか。その間に隔たりがあるのなら、どこにあるのか。
だから、2020年DPはISA 240の改訂案ではない。ここは、現在のJICPA改正案から遡って読むと見落としやすいところでもある。私たちはすでに最終ISA 240 (Revised)を知っている。不正に関連するKAMが導入されたことも知っている。つい、2020年DPの中にその「芽」を探したくなる。しかし、当時のIAASBは、まだそこまで来ていない。
2020年DPで問われたのは、不正と継続企業に関する既存のISAが、変化する環境の中でもなお目的に適ったものなのかということだった。そして、見直す必要があるとすれば、どこを見直すべきなのか。IAASBはその答えを得るため、投資家その他の財務諸表利用者、監査役等、作成者、各国基準設定主体、規制当局、監査監督当局、監査人など、財務報告を取り巻く幅広い関係者に意見を求めた。
さらに2020年には、三つのラウンドテーブルが開催されている。テーマを見ると、当時のIAASBがどこまで広く問題を探っていたのかが分かる。テクノロジーの進展が不正の実行と発見に及ぼす影響、不正と継続企業をめぐる期待ギャップ、そして複雑でない企業の監査における不正と継続企業。現在の最終基準から見るとかなり遠く見える論点まで、検討対象に入っていた。つまり、2020年の段階でIAASBがやろうとしていたのは、処方箋を書くことではなかった。まず、何が病因なのかを見極めようとしていたのである。
そこで登場するのが、「期待ギャップ」という言葉だった。監査の世界では、昔から使われてきた言葉である。ただ、2020年DPを読むと、これを単に「世間は監査人に期待しすぎている」という意味で使ってはいけないことが分かる。IAASBが採用した整理では、期待ギャップは三つに分かれていた。
知識ギャップ、履行ギャップ、そして進化ギャップ。
この三つに分けた瞬間、「監査人は何をしていたのか」という同じ問いが、実はまったく違う三つの問題を含んでいたことが見えてくる。
期待ギャップを三つに分けると、問題の見え方が変わる――知識・履行・進化という三つのギャップ
2020年DPでIAASBが知識ギャップ、履行ギャップ、進化ギャップを持ち出した意味は、「監査人は何をしていたのか」という一つの問いを、そのまま一つの問題として扱わないためだった。
まず、知識ギャップ(knowledge gap)。これは、監査人が実際に行っていることと、公衆が監査人は行っていると考えていることとの隔たりである。財務諸表監査では、監査人は、不正又は誤謬による重要な虚偽表示が財務諸表全体にないことについて合理的な保証を得ることを目的とする。絶対的な保証ではないし、あらゆる不正を発見することを目的としているわけでもない。もし、「監査済みなのだから、不正はないはずだ」と受け止められているのだとすれば、確かに問題の一部は監査の性質が十分に理解されていないことにある。
ここだけ読めば、昔からよくある期待ギャップの話に見える。「監査とはそういうものではありません」と、もっと丁寧に説明すればよい。ところが、二つ目の履行ギャップ(performance gap)に進むと、話が変わる。
履行ギャップで問われるのは、公衆が監査を正しく理解しているかではない。監査人が、監査基準や法令によって求められていることを、本当に適切に行っているのかである。不正による重要な虚偽表示リスクを十分に識別・評価したのか。そのリスクに対する監査手続は適切だったのか。職業的懐疑心は十分に発揮されたのか。もしここに問題があるのなら、「監査には限界があります」と説明しても答えにはならない。
同じ「監査人は何をしていたのか」という問いでも、知識ギャップと履行ギャップでは、矢印の向きが逆なのである。知識ギャップでは、現在行われている監査と、それについて公衆が抱いている認識との隔たりを見る。履行ギャップでは、監査人に求められていることと、実際に行われている監査との隔たりを見る。前者なら説明の改善が一つの対応になるが、後者なら必要なのは監査実務の改善である。
では、現在の監査についての理解や、現行基準の適切な実施とは別に、社会が現在の監査にさらに別のものを求めている場合はどうなるのか。そこで三つ目の進化ギャップ(evolution gap)が出てくる。
進化ギャップでは、現在の監査についての理解や現行基準の適切な実施とは別に、社会からの需要や技術の進歩などを踏まえて、監査そのものをどのように進化させればさらに価値を提供できるのかが問題になる。つまり、「今の監査を正しく説明する」「今の監査をきちんと実施する」だけではなく、「今の監査人の役割そのものを変える必要があるのか」という問いである。
ここまで来ると、期待ギャップを「世間が監査人に期待しすぎている問題」とだけ捉えるのが難しくなる。監査を誤解している人に説明するという話もある。監査人が求められた仕事を十分にしているのかという話もある。そして、監査人に現在求めている仕事そのものを見直すという話まである。2020年DPは、英国勅許公認会計士協会(ACCA)が2019年に示した枠組みを用いて、この三つを分けて考えていた。同年9月のIAASBのラウンドテーブルでも、この三分類は期待ギャップを検討する枠組みとして用いられている。
この整理をしてみると、冒頭から追ってきた問いの形も少し変わる。
「監査人は何をしていたのか」と聞くとき、私たちは何を知りたいのだろう。監査人の責任を確認したいのか。監査が基準どおり行われたのかを知りたいのか。それとも、今の監査では社会の期待に応えられないのではないかと問いかけているのか。
そして2020年9月、IAASBは少し興味深い組み合わせでラウンドテーブルを開いている。名称は「ギャップを縮める(Narrowing the Gap)」。そこで、不正と継続企業をめぐる期待ギャップと並んで議題になったのが、2016年から適用された一連の新しい監査報告基準だった。
不正監査の期待ギャップを考えていたはずなのに、なぜ、ここで監査報告書が出てくるのだろうか。
そこで「監査報告書」が出てきた――監査を変えることと、監査を見えるようにすること
答えの手掛かりは、監査の中で起きていることと、利用者から見えることとの間にある。
監査人は、監査の過程で、不正による重要な虚偽表示リスクを識別・評価し、そのリスクに応じて監査手続を組み立て、監査証拠を集め、評価する。ところが、監査報告書を読む利用者から、その過程がどこまで見えるのかというと、話は別である。
仮にISA 240の要求事項を強化して、不正による重要な虚偽表示リスクへの対応が以前より良くなったとする。それは監査品質にとって意味のある改善だろう。しかし、監査の中で不正による重要な虚偽表示リスクへの対応がどれほど改善されても、その改善が監査報告書から見えるようになるわけではない。監査を変えることと、監査を見えるようにすること。似ているようで、これは別の政策課題である。
この発想自体は2020年に突然生まれたものではない。IAASBはすでに2015年の監査報告改革で、監査報告書の情報提供機能を大きく拡充していた。その代表が、ISA 701による監査上の主要な検討事項(Key Audit Matters:KAM)である。
KAMが登場する以前の監査報告書を思い浮かべると、この変化は分かりやすい。監査人が一年をかけてどこに多くの注意を払い、どこで難しい判断をしたとしても、最終的に利用者が目にする中心的な情報は監査意見だった。適正意見なら、結論は「適正に表示している」である。
KAMは、そこに別の窓を開けた。当年度の財務諸表監査において最も重要であった事項について、監査人は、なぜその事項が重要だったのか、そして監査上どのように対応したのかを監査報告書で説明する。監査意見そのものを変える仕組みではない。監査の過程で監査人が特に注意を払った事項の一部を、利用者から見えるようにする仕組みである。
そう考えると、2020年のラウンドテーブルで、期待ギャップと監査報告改革が同じテーブルに載っていた理由も見えてくる。監査をめぐる問題に対して考えられる対応は、「監査人にもっとやらせる」ことだけではない。「監査人が何をしたのかを、もっと見えるようにする」という方向もあったからである。
ただし、ここで話を先へ進めすぎてはいけない。現在の私たちは、この後ISA 240が改訂され、不正に関連するKAMが導入されたことを知っている。そのため、2020年の議論にKAMが登場すると、「なるほど、ここからfraud-related KAMへ進んだのか」と一本の線を引きたくなる。実際には、まだそんな線は引かれていなかった。
2020年の段階で問われていたのは、監査報告書に追加的な情報を求める需要があるのかという、もっと開かれた問いである。不正について何を報告するのかも決まっていない。それをKAMで報告するのか、別の仕組みを使うのかも決まっていない。後にIAASBが一度はKAMとは別の報告方法へ進むことを考えれば、ここをKAM導入の出発点として一直線に描くのは適切ではない。
では、監査を「見えるようにする」として、いったい何を見せるのか。
監査人の責任や監査の限界を、もっと分かりやすく説明するのか。その企業で監査人が着目した不正による重要な虚偽表示リスクを示すのか。そこに対して何をしたのかまで書くのか。それとも、監査手続を実施して何が分かったのかまで踏み込むのか。
「透明性を高める」と言うだけなら簡単である。難しいのは、その次だった。
何を見えるようにするのか――リスク、対応、そして結果
「監査を見えるようにする」と言っても、そこから先は一つではなかった。
2021年7月、IAASBの不正に関する論点資料(Fraud Issues Paper。以下「不正論点資料」という。)には、2020年DPへの回答やラウンドテーブルなどで示された案が、かなり具体的な形で並んでいる。読んでいくと、「透明性」という一語の中に、実は性格の違う報告の仕方がいくつも入っていたことが分かる。
まず考えられていたのは、監査人の責任や監査の限界を、もっと分かりやすく説明する方法である。合理的保証とは何か。不正による重要な虚偽表示を発見できないリスクが、誤謬の場合より高いとはどういう意味なのか。ここで必要なのは、その企業で何をしたかを細かく書くことではない。監査とはそもそも何をするものなのかを、利用者が誤解しにくい形で伝えることである。
これは、知識ギャップへの対応としては分かりやすい。だが、これだけでは、「この会社の監査で、監査人は不正に関連して何に注意を払ったのか」は見えてこない。
そこで、もう一つの案が出てくる。
英国ではすでに、監査が不正を含む法令違反その他の不正規な行為をどの程度発見可能と考えられたのかを、監査報告書で説明する仕組みがあった。不正論点資料にも、この英国型の報告を参考にすべきだという意見が記録されている。これは、特定の不正による重要な虚偽表示リスクを一つずつ取り上げるというより、「この監査は不正を含む不正規な行為の発見という観点から、どういう監査だったのか」を包括的に説明する考え方である。
さらに踏み込んだ案もあった。
監査人が識別した不正による重要な虚偽表示リスクと、経営者が認識している不正リスクとを比較する。経営者による不正リスクの識別・評価に関する内部統制を、監査人がテストしたかどうかを説明する。監査人が実施した手続だけでなく、その結果まで報告する。つまり、「監査人にはこういう責任があります」という一般論ではなく、「この企業の監査で、何が問題になり、監査人は何をしたのか」を見せる方向である。
この発想は、2020年9月のラウンドテーブルにもすでに顔を出していた。不正について監査人が行った業務とその結果を、もっと企業固有の形で監査報告書に示してほしいという声である。
ここまで来ると、透明性という言葉の意味がずいぶん変わって見える。単に監査人の責任を説明するだけなら、既存の監査報告書の説明を改善すればよい。監査全体の不正発見能力を説明するなら、英国型のような独立した説明が考えられる。特定の不正による重要な虚偽表示リスクと監査人の対応を企業固有に示すなら、KAMに近い仕組みが見えてくる。
しかも、実際にKAMを使うという考え方も、この時点ですでに存在していた。不正に関連する事項がISA 701の選定プロセスを経てKAMとなるのであれば、既存のKAMの仕組みを利用すればよい、という考え方である。
だが、まだ「KAMで決まり」ではない。別の報告方法も並んでいたし、何より、どこまで情報を出すのかという問題が残っていた。リスクだけを示すのか。監査人の対応まで示すのか。さらに、監査手続を実施した結果まで書くのか。そこまで行けば、利用者には確かに多くのことが見える。
では、多く見えるほどよいのだろうか。この問いが、次の議論を難しくした。
ところが、ワーキング・グループは一度立ち止まった――透明性が生む別の問題
2021年6月、IAASBは一つのレビュー結果を公表した。2016年から適用された新たな監査報告基準について、導入後の状況を調べたものである。結果は悪くなかった。ステークホルダーからは広範な支持が得られ、監査報告書の伝達価値、透明性、目的適合性を高めるという改革の目的は達成されたと評価された。
KAMを導入し、監査の中で何が重要だったのかを以前より見えるようにした。その改革が一定の成果を上げている。しかも、不正についても「監査人が行った業務とその結果を、もっと企業固有に示してほしい」という声がある。
ならば、その先へ進めばよい。そう思うところだが、話は逆へ動く。
翌7月、IAASBの不正ワーキング・グループ(WG)は、不正について監査報告書に「より多くの透明性」を要求することを、この時点では推奨しないとの結論を示したのである。なぜ、ここでブレーキを踏んだのか。
一つは、すでにKAMがあったからである。ISA 701の対象となる監査では、監査人が特に注意を払った事項の中から、当年度の財務諸表監査において最も重要であった事項をKAMとして選び、なぜその事項が重要だったのか、監査上どのように対応したのかを監査報告書に記載する。不正に関連する事項も、その選定プロセスを経てKAMとなるのであれば報告される。だとすれば、不正だけについて新しい報告要求を加える必要があるのか。既存のKAMで足りるのではないか。
しかし、問題はそれだけではなかった。「リスク、対応、そして結果」をどこまで見せるかを本気で考え始めると、透明性には別の顔が現れる。
例えば、監査人が実施した不正に関する監査手続を詳しく書くとする。利用者にとっては監査の中身が見えやすくなる。その反面、監査報告書は長くなり、複雑になる。企業ごとの事情を十分に反映できなければ、どの会社にも似たような文章が並ぶことにもなりかねない。透明性を高めるために文章を増やした結果、ボイラープレートが増えただけでは意味がない。
不正の場合には、もう一つ厄介な問題がある。監査手続を具体的に説明すればするほど、将来不正を実行しようとする者に、監査人がどこを見るのか、どのような方法で検証するのかを知らせる可能性がある。不正を発見するために行っている監査を、不正について透明にする。その透明性が、かえって監査の有効性を損なうとすれば、何のための情報開示なのかということになる。
さらに境界線の難しい問題があった。企業がまだ公表していない情報を、監査人が監査報告書で最初に明らかにする、いわゆる「オリジナル・インフォメーション(original information)」である。
「この不正による重要な虚偽表示リスクに対して、監査人はこのような手続を行った」と説明するのであれば、監査人自身の仕事について語っているように見える。ところが、その説明を具体的にしていけば、「なぜその手続が必要だったのか」「監査の結果、何が分かったのか」に触れざるを得なくなる場合がある。すると、いつの間にか監査人の仕事についての説明から、監査対象企業についての新しい情報提供へ踏み込んでしまうかもしれない。
どこまでが「監査を見せること」で、どこからが「企業について監査人が語ること」なのか。「結果まで見せる」という案が魅力的に見えたのは、そこまで示せば利用者が監査の中身をかなり具体的に理解できるからだった。しかし、まさに具体的に書こうとするほど、オリジナル・インフォメーションの境界線が難しくなる。
それでも、透明性を求める側には別の理屈があった。2021年7月の不正論点資料には、ある規制当局から興味深い意見が記録されていた。監査人が実施した、あるいは実施しなかった業務が公になることは、ステークホルダーの理解を深めるだけではなく、監査人自身にも、適切な監査手続の計画・実施へ注意を向けさせるのではないか、というのである。
これは、透明性を単なる「説明」の問題として見ているのではない。外から見えるようになれば、行動も変わるかもしれない。そう考えれば、監査報告は知識ギャップだけではなく、履行ギャップにも作用する可能性を持つ。
もっとも、これは当該規制当局から示された考え方であって、この時点でIAASBがその効果を制度上の前提として認定した、という話ではない。むしろ2021年7月の状況を特徴づけるのは、こうした期待と副作用の双方が見えていたことである。
実際、WGは追加的な透明性を要求することを推奨しなかった。それでも7月のIAASB会合では意見が分かれ、審議会は、この公益上の論点についてさらに検討するようWGに求めた。ここが、今回の改訂過程で面白いところだ。
少なくとも、透明性に意味がないとして論点そのものが退けられたわけではない。むしろ、何を見せるのか、既存のKAMでは足りないのか、監査手続をどこまで明らかにするのか、企業についての新しい情報との境界をどう引くのかという問題が、一度に表へ出てきたのである。
それでも7月のIAASB会合では意見が分かれ、審議会は、この公益上の論点についてさらに検討するようWGに求めた。
それでも「透明性」は正式な改訂目的になった――2021年12月のプロジェクト提案書
その5か月後、2021年12月のプロジェクト提案書を開くと、「透明性」は消えていない。それどころか、四つある改訂目的の一つとして明記されている。
では、その5か月の間に、前章で見た透明性をめぐる難題が解消されたのか。そうではない。むしろ興味深いのは、それらの難題を抱えたまま、それでも透明性が改訂プロジェクトの中に残されたことである。
プロジェクト提案書に掲げられた四つの目的を順に見てみよう。
第一は、財務諸表監査における不正に関する監査人の役割と責任を明確にすること。第二は、ISA 240の要求事項をより強固にし、必要に応じて適用指針を拡充・明確化することによって、識別した不正による重要な虚偽表示リスクに対する一貫した行動と有効な対応を促すこと。第三は、不正に関連する監査手続において、監査の全過程を通じて職業的懐疑心を適切に発揮することの重要性を一層強調すること。そして第四が、不正に関連する監査手続について、適切な場合に透明性を高めることだった。
こうして四つを並べてみると、第四だけ少し向きが違うことに気づく。
最初の三つは、主として監査そのものに向いている。監査人の責任を明確にする。リスクへの対応を強化する。職業的懐疑心を適切に発揮させる。いずれも、「不正に対して監査人はどう監査するのか」という問題である。
第四は、監査をどう実施するかから、その内容をどう伝えるかへと視点を移す。不正に関連して行った監査について、何を監査役等(those charged with governance:TCWG)とコミュニケーションし、何を監査報告によって伝えるのか。プロジェクト提案書は、監査役等とのコミュニケーションだけでなく、ISA 240その他の関連するISAにおける報告要求の強化にも言及している。
ここで、三つの期待ギャップを思い出すと、この四つの目的の組み方が少し違って見えてくる。監査人の責任を明確にするだけではない。監査の実施も改善する。それでもなお、監査人が不正に関連して何をしたのかが外から見えないという問題は残る。IAASBは、その問題までISA 240改訂の射程に入れたのである。
ただし、ここで先を急ぐと、今回の改訂過程を読み違える。2021年12月に決まったのは、「不正に関連する監査手続について、適切な場合に透明性を高める」という目的である。それをKAMで実現することまで決まったわけではない。
これは現在から振り返るほど見落としやすい。最終ISA 240(改訂)を知っている私たちは、「透明性を高める」という言葉を見ると、つい不正に関連するKAMを思い浮かべてしまう。しかし、当時はそうではなかった。監査人の責任についての説明を改善する方法もあれば、英国型の報告を参考にする考え方もあり、既存のKAMを利用する考え方もあった。何を、どこまで、どの仕組みで報告するかは、まだ開かれていた。
実際、その後の制度選択は一直線には進まない。2021年12月に決まったのは透明性という目的までであり、その実現方法は翌年以降も検討されることになる。
では、なぜKAMだったのか
もう一度、2026年8月に公表されたJICPAの監査基準報告書240の改正案を開いてみる。
そこには、不正に関連するKAMという仕組みが、すでに出来上がった制度として書かれている。最終形だけを読めば、不正に関連する監査の透明性を高めるためにKAMを使うことは、ごく自然な制度設計にも見える。
だが、ここまで基準設定過程を遡ってきた後では、少し見え方が違う。2021年12月にIAASBが決めたのは、不正に関連する監査手続について、適切な場合に透明性を高めることだった。KAMを使うことではない。
では、なぜKAMだったのか。この問いには、意外にはっきりした検討過程が残されている。
2022年9月、IAASBが一度支持したのはKAMではなく、独立した不正セクションだった。ところが、そのわずか数か月後、独立したセクションは再検討される。そして議論は、ISA 701のKAMの仕組みを利用する方向へ動いていく。
しかも、単にKAMへ戻ったわけではない。IAASBは、KAMの選定に監査人の職業的判断を残しながら、不正に関連する事項が監査報告書に現れることを強く促そうとした。その試みが、後のED-240に現れる「通常(ordinarily)」や「稀(rare)」という、少し変わった言葉につながっていく。
ここまで来ると、JICPA改正案にある不正に関連するKAMも、単に「ISA 240に新しい報告要求が加わった」と読むだけでは足りない。その背後には、別の制度案を一度支持した後にそれを再検討し、KAMの仕組みへ統合しながら、通常のKAMとは異なる強い方向付けを与えようとした基準設定上の試行錯誤がある。
次回は、そこを追ってみたい。独立した不正セクションを一度選んだIAASBは、なぜKAMへ戻ったのか。そして、なぜゼロ件を中立的な結果として扱うのではなく、「ゼロは稀」と方向付けたのか。








