「単なる既存の規定の移管ではなく」
2026年10月2日、企業会計審議会監査部会に提出された町田祥弘教授の意見書を読み進めるなかで、この一文が妙に引っかかった。
いま、企業会計基準委員会(ASBJ)では、「継続企業の前提」、いわゆるGCに関する会計基準を開発している。日本にはこれまで、GCを包括的に定めた会計基準がなかった。それがようやくできるのだから、まずは歓迎すべき話に見える。
ただ、町田教授は、ASBJのプロジェクトが、日本公認会計士協会(JICPA)の実務指針等にある会計的な記載の「移管」に焦点を当てていることに注文をつける。「単なる既存の規定の移管ではなく、国際的な会計基準との整合性を踏まえた実質的な対応」を求めているのである。
そこで、少し前にできた別の会計基準を思い出した。後発事象である。
そういえば、後発事象も
後発事象にも、長い間、包括的な会計基準がなかった。決算日後に起きた出来事を、その期の財務諸表に反映するのか。それとも、翌期に属する出来事として処理し、必要に応じて注記するのか。どう考えても会計の話である。
ところが、その定義や取扱いはJICPAの監査実務指針に置かれていた。修正後発事象について、どのような場合に財務諸表を修正するかという会計処理まで、監査側の指針に書かれていたのである。
この状況を変えるきっかけになったのが、JICPAの実務指針等をASBJへ移す「移管プロジェクト」だった。会計に関するものはASBJへ、監査に関するものは監査側へ。その結果、2026年、ようやく「後発事象に関する会計基準」ができた。そしてGCも、同じ移管プロジェクトから基準開発が始まっている。
もっとも、なぜ会計の話が監査側に置かれていたのか。昔から妙なことをしていた、と決めつけるのは早い。日本の会計や監査は、長く米国の制度から強い影響を受けてきた。後発事象についても、かつての米国では監査文献が大きな役割を担っていた。GCも同じである。
2002年、そして2009年に日本のGC制度が整備された当時、米国の会計基準には、経営者自身にGCについての評価を求め、その評価結果に応じた財務諸表注記まで明示的に規定する仕組みがなかった。町田教授も、この点を意見書で指摘している。
もちろん、日本が国際会計基準を知らなかったわけではない。IASでは、経営者がGCの適切性を評価することが会計基準に定められている。それも承知していた。それでも日本では、まず監査基準を中心に制度が整えられた。
今から見れば少し不思議に映るが、当時、日本が参考にしていた米国も似た場所にいたのである。
米国の方が先に動いた
2009年、FASBは後発事象についてFAS 165を公表した。それまで会計文献や監査文献に分散していた後発事象の考え方を会計基準として整理するとともに、その過程でIAS 10との違いを小さくすることも検討した。
GCでも2014年、ASU 2014-15が公表された。それまでUS GAAPには明確に置かれていなかった、経営者自身がGCを評価し、その結果に応じて開示する責任が会計基準に入った。町田教授が重視しているのも、この変化である。
日本が米国から離れていったわけではない。日本が立っていた場所から、米国の方が先に動いていったのである。昔の制度には昔の理由があったとしても、その前提となった世界の方が変われば、見直す理由も生まれる。日本にも、その機会がやってきた。まず先にやってきたのが、後発事象だった。
後発事象は「今あるもの」から考えた
ASBJは、監査実務指針をそのまま会計基準に写したわけではない。それまで使われていた「監査報告書日」という監査人側の概念をそのまま持ち込まず、「財務諸表の公表の承認日」という考え方を採った。会計基準として考え直したところは、きちんとある。
ただ、基準開発の基本方針は、「監基報560実1で示されている会計に関する内容を踏襲して移管する」ことだった。まず今ある実務を出発点とし、その中から会計に関する内容を切り分けたうえで、必要な修正を加えて会計基準へ移す。そういう順番である。
修正後発事象や開示後発事象については、従来の基本的な考え方が引き継がれた。日本独自の修正後発事象の取扱いも残り、その抜本的な見直しは将来の課題となった。この取扱いについては、拙稿「後発事象をめぐる基準開発の本質を問う」(『企業会計』2025年10月号)で詳しく論じたので、ここでは繰り返さない。今回考えたいのは、個々の取扱いの是非よりも、その前にある話である。
「今ある実務の何を移すか」から考えるのか。それとも、「今、後発事象の会計基準として何を定めるのが適切なのか」から考えるのか。
出来上がる基準は似るかもしれない。だが、思考の向きは逆である。
GCでは何が起きているのか
ASBJのGCプロジェクトも、「会計に関する指針に相当すると考えられる記載の移管を行うことに焦点」と説明されている。後発事象と同じように、既存実務を出発点として会計基準を作るようにも見える。
ただ、実際の審議は、もう少し入り組んでいる。
ASBJは、従来のJICPAの報告だけを移管すると、会計基準の内容がほぼ開示に限られる一方、肝心のGCの適切性をどのように判断するのかという指針は不足すると考えた。そこで、監査基準報告書570に置かれていた基本的な判断基準を、会計基準へ取り込もうとしている。評価期間についても見直しが進んでいる。
興味深いのは、その判断基準を取り込む理由である。ASBJは、この判断基準を取り込むことで国際会計基準と同様の内容となり、その結果として国際的な整合にもつながると認識している。一方で、その判断基準はすでに日本の監査実務で機能しているため、「現行の実務を変更しない範囲で移管する」ことができる、とも説明している。
つまり、GCは後発事象とまったく同じ道を歩んでいるわけではない。ASBJも、ただ移そうとしているのではない。それでも、考え方の出発点には、なお「移管」があるように見える。だからこそ、町田教授の「単なる既存の規定の移管ではなく」という一文が気になる。
「何を移すか」と「何を求めるか」
問題は、ASBJが既存実務を問い直しているかどうかではない。実務は問い直している。気になるのは、その出発点である。
後発事象では、「既存実務の中から、何を会計基準へ移すか」が出発点だった。GCも同じ発想で進めれば、まず現在の報告や監査基準を確認し、そのうえで経営者に関係する部分を会計基準へ取り込むことになる。
しかし、逆から考えることもできる。経営者はGCについて何を評価すべきなのか。どのような場合に、何を財務諸表で開示すべきなのか。その責任を明確にするために、日本の会計基準には何を書くべきなのか。
まず、経営者に何を求めるべきかを考える。その答えに照らして、現在の実務の何を残し、何を改めるかを決める。町田教授が求めているのは、こちらではないだろうか。
教授は意見書で、財務諸表の作成については経営者が責任を負い、その財務諸表を監査する責任は監査人が負うという「二重責任の原則」を持ち出している。GCについても、経営者がまず評価を行い、その評価を監査人が検討するという役割分担になる。それなら、経営者の評価・開示責任は、まず財務諸表作成の基準である会計基準に置くべきだ、というのである。
「移管」という言葉は、何とも事務的である。今あるものを、別の場所へ移す。それも必要な仕事である。
だが、新しい会計基準を作る仕事は、それだけではない。「今までこうしてきたから」ではなく、「今、会計基準として何を要求するのが最も適切なのか」を自ら考え、決める。そこには、基準設定主体としての矜持があるのだと思う。
後発事象では、「今ある実務の何を移すか」が出発点になった。GCではどうするのか。
「単なる既存の規定の移管ではなく」。この一文が問うているのは、規定をどこへ移すかではない。基準設定主体が、何を出発点として基準をつくるのかである。








