ISSBが2025年9月25日の会合で下した暫定決定は、一見すると「企業の開示負担を軽減する親切な救済措置」のように映るかもしれませんね。しかし、その本質を理解するには、表面的な利便性の話を超えて、もっと深いところにある制度設計上の問題に目を向ける必要があるのです。
今回の決定は、IFRS S2号「気候関連開示」のカテゴリー15スコープ3「投融資に関する温室効果ガス(GHG)排出」について、限定的な救済措置を最終化する方向で固まったものです。企業は、カテゴリー15のすべてのGHG排出を網羅的に測定・開示する代わりに、一定の条件のもとで「ファイナンスド・エミッション」(融資や投資ポートフォリオなどに起因するGHG排出)に限定した開示を選択できるようになります。
ただし、誤解してはいけません。これは「測定が難しいから少し軽くしましょう」という単純な温情措置ではないのです。ISSBスタッフが会合で明言しているように、今回の改訂の真の背景には、IFRS S2号本文が要求している内容と、その「結論の根拠」が説明しているISSBの意図との間に存在していた矛盾が、実務の現場で深刻化していたという事実があります。
■本文と「結論の根拠」が発する「二重メッセージ」の罠
具体的に見ていきましょう。IFRS S2号本文(第29項(a)(i)(3))は、スコープ3カテゴリー15の絶対総量を開示対象としています。また、カテゴリー15には金融機関などの投融資活動を通じて生じるGHG排出が含まれるとされています。本文上、明示的な除外規定はどこにも存在しません。
ところが、「結論の根拠」(BC127およびBC129)を開いてみると、デリバティブや投資銀行によるファシリテーションに関連する排出、保険・再保険の引受に関連する排出については、測定方法が未成熟であることを理由に、これらの排出を追加的な開示要件(B58-B63)の対象から除外した旨が説明されているのです。
しかし、ここに落とし穴がありました。カテゴリー15の絶対総量開示(第29項(a)(i)(3))からも除外するのか否かについては、「結論の根拠」の記述が必ずしも明確ではなかったのですね。この曖昧さが、実務に深刻な混乱をもたらすことになります。
この曖昧さによって、実務では2つの解釈が生まれてしまいました。一つは、「結論の根拠」が追加開示要件からのみこれらの排出を除外しているとする限定的解釈です。もう一つは、「結論の根拠」が追加開示要件および絶対総量開示の両方からこれらの排出を除外しているとする包括的解釈です。
つまり、本文は包括的、「結論の根拠」は限定的(ただし範囲が不明確)という二重メッセージが存在していたわけです。この二重メッセージは、企業ごとに「どこまでをカテゴリー15として測るべきか」の解釈を分裂させるため、比較可能性を損ない始めていたのです。ISSBスタッフの問題提起は、まさにこの点にありました。
今回の修正は、このねじれを制度的に正すことを主目的としています。したがって、この改訂の第一義的な狙いは「免除による負担軽減」ではなく、IFRS S2号の規範的要件と「結論の根拠」に示された決定理由を整合させることだと整理すべきなのです。これは、基準設定者としての誠実さの表れであり、同時に実務への配慮でもあるわけです。
購読者限定|この先で扱う内容
IFRS S2号の修正によって、カテゴリー15の測定・開示範囲がどのように定められ、任意の救済措置と説明責任、企業間の比較可能性がどのように両立されるのかを検討します。
・ファイナンスド・エミッションへの限定とデリバティブ等の取扱い
・除外した金融活動の説明と財務諸表との整合性
・合計値・小計による比較可能性の確保と将来の見直しの可能性



